履修について
本講義の目的およびねらい
本講義の目的は、法律・政治の具体的制度へと学習を進める前に、それらを正当化する根拠であるとともに、制度・政策に関する価値判断の基準となる思想について基本的な知識を得ることにある。制度の背景にある思想を理解することで、法律・政治の全体的なパースペクティブを考えることが期待される。
具体的には「主流派」であるリベラル・デモクラシーを軸として、それに対する批判と代替的理論を紹介していく。講義題目の予定は下記の通りである。
- 1 リベラリズムの伝統:ロック、J.S.ミル、アダム・スミス
- 2 リベラリズムの正義論:ロールズと格差原理
- 3 リベラリズムの発展:分配と平等
- 4 共同体と文化:共同体論・多文化主義
- 5 20世紀デモクラシーの現実:代表・競争・多数決、福祉国家とデモクラシー
- 6 公と私の再定義:市民社会の可能性、フェミニズム
- 7 ラディカル・デモクラシー:熟議民主主義、闘技民主主義
注意事項
本講義は担当教官2名(田村哲樹・大屋雄裕)の共同開講であり、分担して講義を行なう。教科書は使用しない。参考書・参考文献は適宜講義の中で紹介する。
試験問題
以下の3問のうち1問を選択して解答せよ。
解答の冒頭に設問番号を記入しておくこと。どの設問に対する解答か不明の答案は採点しない。
1. デモクラシーには、多数者の意思が少数者を圧迫する「多数者の専制」という問題があるとされる。この問題に対する、「ラディカル・デモクラシー」の対応をどのように評価することができるか、熟議民主主義と闘技民主主義のそれぞれにおける対応を述べた上で、両者を比較考察しなさい。
2. ロールズの格差原理がいかなる意味で結果状態原理だと言えるのか、またそのためにどのような批判が想定され得るか述べた上で、自己の見解について論じなさい。
3. 以下の見解について論じなさい。
ユートピアのための枠は、最小国家に等しい。(……)最小国歌は我々を、侵すことのできない個人、他人が手段、道具、方便、資源、として一定のやり方で使うことのできないもの、として扱う。それは我々を、個人としての諸権利を持ちこのことから生じる尊厳を伴う人格として扱う。我々の権利を尊重することで我々を尊敬をもって扱うことによって、それは我々が、個人としてまたは自分の選ぶ人々とともに、同じ尊厳を持つ他の個人たちの自発的協力に援助されて、自分の生を選び、(自分にできる限り)自分の目的と自分自身について抱く観念とを実現してゆくこと、を可能にしてくれるのである。どんな国家や個人のグループも、どうしてこれ以上のことをあえてするのか。また、どうしてこれ以下しかしないのか。
持ち込み許可物: 有
採点講評
本年度試験問題は3問のうち1問を選択して回答するものであった。各問に関する採点講評を下に示す。
2)
講義ではノージックとの対比で説明したことだが、ロールズの格差原理で分配(を不平等にすること)の根拠となるのはいま現在もっとも恵まれない地位にあることであり(格差原理)、何故・誰の責任によってそのような地位に至ったかという経緯は問題にされない。理由や正統性を問題にせず、あるべき分配という結果のみを「正義」の基準にするというのがポイント。その点を指摘した上で、ノージック的な権原理論やドゥウォーキンのようにリベラルな平等論を修正する立場からの批判へとつなげればよい。
3)
課題文は、ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』から。他者に一方的に利用されないというカント的な自然権を前提とすると正当化されるのは最小国家のみであると結論する部分の文章だが、指摘すべきなのは第一にそれが個々人の自由な協働の「枠」として理解されていること、第二に正当化されるのが「最小国家」であり、それより大きい「福祉国家」もそれより小さい「超最小国家」やアナルコ・キャピタリズムも否定の対象になっていることである。前者からはたとえば貧困者の救済は自発的な慈善活動によるべきだということになり、その公平性や限界について論じる方向が想定できる(第二の論点とつなげやすい)。逆にアナルコ・キャピタリズム的視点から、最小国家に服従すべきことをなぜ個々人に強制することができるのかを問題にしてもよい。