評論(01-)
……というか、まあ特定の対象に依拠して議論を展開した雑文ですな。研究者として書く論文ほど論理性はないですが、その分冒険的・実験的な議論をしていたりもするので、面白いかもしれません。
平成18年: 「ご主人さま選びと奴隷の幸福: マンダレイ、グーグルゾン、ジーヴズ」
トーキングヘッズ叢書No. 27『奴隷の詩学』(発行 アトリエサード / 発売 書苑新社), pp. 46-56.
平成17年7月: 「成熟と永遠: 少年、確実性への夢」
トーキングヘッズ叢書No. 24 『少年×タナトス』(発行 アトリエサード / 発売 書苑新社), pp. 31--41.
平成17年3月: 「[作品レビュー] 赤瀬川原平『超芸術トマソン』」
トーキングヘッズ叢書No. 23 『昭和幻影絵巻: 闇夜の散歩者たち』(発行 アトリエサード / 発売 書苑新社), p. 121.
平成16年6月: 「少女の「イノセンス」: 純粋なる外部から」
トーキングヘッズ叢書No. 21 『少女×傍若無人: "少女"は軽々と"常識"を超える』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社), pp. 126--134.
この号のテーマの「少女」と、映画『イノセンス』(押井守監督)と、西原理恵子せんせいとで三題噺をしました。きちんと話がつながってるかどうかは保証いたしかねます。しかし今回もまたひとりで「少女じゃだめじゃん」という話をしているのですが。
平成16年3月: 「ハノイの速度: 時間と制度に関するベトナム式解決」
トーキングヘッズ叢書No. 20 『中華モード: 非常有希望的上海台湾前衛芸術大饗宴』(発行 アトリエサード / 発売 書苑新社), pp. 176--182.
一昨年のベトナム滞在記ですよ。モノの流入速度の差がもたらす問題と、人々の振る舞いの変化と、開発の思想をめぐる原稿、でしょうか。上野千鶴子せんせえの玉稿と同じ特集で掲載されていて驚く。しかしなんか私ひとり別の話をしているような気がするんですけど、本当に大丈夫なのかなあ。
平成15年3月: 「物語の夢、夢の物語—宮崎駿『千と千尋の神隠し』」
トーキングヘッズ叢書No. 18 『BODY IMAGE ILLUSION: 身体★表現主義 ゲルマニックな身体のリアル。』(発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
ええと、そういうものです。というか、巨匠が夢を映画にするようになるとお迎えが近いのではないかという話で(こら)。物語というのは首尾一貫していなくてはならなかったり、過不足があってはならなかったりという約束を負わされているものですから、そこでは我々のリアルな日常には実在する突拍子もない出来事とか奇妙な偶然は排除されることになります。ところが夢の物語はその約束を無視することで成立する。これは果たして進化か疲労か、とまあこんな感じでしょうか。
平成13年11月: 「異邦人の哲学、または哲学の異邦人—20世紀フランス哲学の二人」
トーキングヘッズ叢書No. 16 『パリ—エトランジェ: 異邦人の、エネルギーと、孤独。』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
レヴィナスとデリダについて対比しながら紹介しているものです。レヴィナスが「外なる異邦人」(外側から来て内側に入ろうとするもの)であるのに対し、デリダは「内なる異邦人」(内部にいながら疎外されているもの)だよねえ、という感じでしょうか。
評論(-00)
平成12年12月: 「英国について私の知っている二・三の事柄: 英国の法と制度について」
トーキングヘッズ叢書No. 15 『Hot Brit Groovers Exhibition: 英国偏屈展覧会』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
これは……恥ずかしい原稿ですねえ。約一年ぶりにトーキングヘッズ叢書が出たので久々の評論です。イギリスの法制度の(日本人にとって)奇妙な点をいくつか紹介しながら、「結局イギリス人というのは一度作ったものは何か問題が起きない限り変えようとしない国民で、『英国偏屈博覧会』と言うが一番偏屈なのはイギリスの普通の人々だろう」という結論に至ったものです。
いやこう、私なぞ英米法の専門家でもあるまいし、書くべき原稿じゃないよねえと思うのですが。「テーマはイギリス」といって執筆を依頼されたときに、「専門じゃないし、この程度のものしか書けません」と言って断わろうとしたら、「そういう視点は少ないので是非書いてくれ」とか言われてしまい。……人生は油断なりません。というか編集長はひどい人です(多分編集者にとっては最大級の賛辞)。
平成12年12月: 「語り得ぬ他者の代弁をめぐって—岡真理『記憶/物語』と観念の外部」
トーキングヘッズ叢書No. 15 『Hot Brit Groovers Exhibition: 英国偏屈展覧会』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
「語り得ぬ他者に語ることを強制しないために、代弁する」という議論の構造を、笠井潔の「観念の外部」論を引用しながら批判したもの。というかこれって(私の言うところの)「見えない基礎付け主義」の極限形態だよねえ、という主張ですな。スピヴァクはどうやら「代弁」でもダメで、自分の知識etc.をないものとして考えてみるという手法を主張しているらしいんですが、それがどういうことを意味しており、哲学的にどのように可能なのかとか、考えたことあるのかなあ。「相手の身になって考えなさい」という「おばあちゃんの知恵袋」でないとすれば、相当にいかがわしい主張のような気がするんですがね。
岡真理の本自体については、とりあえず、〈出来事〉って何なのかとか、定義や概念の考察がまったくないような気がするんですけど、フランス現代思想系の方々ってのは皆さんこういう流儀なんですか?そういうシリーズだからいいのかなあ。大森荘蔵先生の議論とか、こういう方々がどう思うのかが気になりますね。
……何かえらく口が悪いですが、ここんとこ機嫌が悪いせいです。岡さんの本のせいでは(きっと)ありません。すいません反省してます。はい。
平成12年12月: 「ヴェアヴォルフ、あるいは解き放たれたプロメテウス—『人狼』観賞記」
トーキングヘッズ叢書No. 15 『Hot Brit Groovers Exhibition: 英国偏屈展覧会』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
映画『人狼』(監督・沖浦啓之、脚本・押井守)を観ての感想ですが、論点は二つ。第一に物語の中で用いられた「仮想の過去」が提起する過去のリアリズムの問題。これは助手論文でも書いた「過去物語り」論ですな。第二は押井の用いる二分法、つまり「犬」対「猫」というメタファーによって見逃される第三の選択の可能性。これをどう積極的に定位するかが次の課題でしょうかねえ。
ちなみに観た直後に某MLに流した感想は、こちら。
平成11年11月: 「英雄とルール: 戦争・正義・革命」
別冊FSGI 第4号(発行 スザク・ゲームズ / 発売 書苑新社)
多くのTRPGには、未来の英雄である冒険者たちが為そうとする正義の行ないが争いを呼ぶとしてもそれはその正義の故に許容されるし、また民衆(でも国民でも大衆でも何でも良いけど)にも歓迎される、という生温い基本思想があるわけで。それを正戦論やアナーキズムに関する法哲学の観点から問題化してみたものって感じでしょうか。エルンスト・ノルテの主張を誤解して使った気はします。
このIntersectionという部分は当初、各号のテーマへ向けて観点をまとめ上げるような原稿を求められていたのですが、諸々の事情によりこの号からテーマ企画に関与しなくなったのでこの号以降の執筆はお断りしました。というわけで、『From SGI別冊』ではこれが最後の長目の原稿になります。
平成11年10月: 「統合から共生へ——試みとしてのトーキョーキューティーズ」
トーキングヘッズ叢書No. 14 『トーキョーキューティーズ』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
ええとですね。とりあえず狙いを言うと、性的関係を「特定の役割期待を強制されること=支配」と見るのは良いのですが(これ自体はフェミニズム的な理解かな?)、問題はその支配すること・支配されることを断念したときに我々にいったいどのような関係が可能なのか、という点にあると思っているのですよ。「それでもうまくいくはずだ」ってだけならそれは新手のレッセフェールというか、Deus ex machinaに過ぎないよねえ、と。この短文では、そういう問題をめぐるいくつかの回答や失敗例を具体的な作品に照らしながら提示したうえで、何か別のあり方があるはずだ、というのをその方向程度は示してみたつもり、です。
平成11年8月: 「夜と他者: TRPGにおけるモンスター像とその変遷」
別冊FSGI 第3号(発行 スザク・ゲームズ / 発売 書苑新社)
TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)において、他者としての「モンスター」がどのような存在として、自我とどのような関係を持つものとして描かれてきたかを論じたもの。はじめ我々と異なるものとして対話不能の存在とされ、現世を区切る境界の彼方に押し込められていたモンスターはやがて我々の隣人として、そして遂には我々の内なる暗黒として姿を現わす……そんな感じのもの。
例えば丹治愛『ドラキュラの世紀末: ヴィクトリア朝外国恐怖症(ゼノフォービア)の文化研究』(東京大学出版会, 1997)なんかはモンスターを「外部からの脅威」と捉えることによってゼノフォビアとの平行関係を措定するわけだが、同じヴァンパイア文学でもアン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』ではそれが自らの内部にあるものと定位されることになる。このあたりの関係と照らしあわせて理解すると面白いのではないかなあと思ったり。
平成11年8月: 「サイバーパンクと夜: 終わらない夜のなかで、終わらない夜のために」
別冊FSGI 第3号(発行 スザク・ゲームズ / 発売 書苑新社)
夜が担う意味について、特にサイバーパンク作品で典型的に用いられるガジェットを手がかりに探ってみたもの。キーワード的には、[夜/昼]という二項対立の不存在、視線の消失、そして他者と自我の関係。
平成11年2月: 「星界の紋章と帝国の論理」
トーキングヘッズ叢書No. 13 『ANNE RICE with the Vampire Generation』 (発行 アトリエサード / 発売 書苑新社)
森岡浩之『星界の紋章』『星界の戦旗』シリーズ(ハヤカワ文庫JA)に登場する「アーヴによる人類帝国」という星間国家について、それが伝統的な帝国像と重なるものとして近代国民国家の論理を批判する存在になっていると論じた(非常に短い) 評論。この読みが著者自身の想定とまったく反対であるというあたりがミソだろうか。
ちなみに、牧眞司「『星界の紋章』に描かれた星間帝国の斬新さについて」『星界の紋章読本』(早川書房)も同様の着眼点の評論だが、「帝国とは何であるか」に関する知識と考察を欠いているために支離滅裂になっている。SFにおける帝国像の歴史について私よりよくご存知なのは間違いないけれど、「かつての大英帝国やスペイン帝国のような植民地主義」なんて無神経な書き方をする人の帝国像なんてものを信用してよいものかなあ。
翻訳
平成11年2月: サンドラ・トム「ダイエットと罪: 『夜明けのヴァンパイア』とヴァージニア・スリムの物語」
トーキングヘッズ叢書No. 13 『ANNE RICE with the Vampire Generation』(発行 アトリエサード / 発売 書苑新社) ← Sandra Tomc, "Diet and Damnation: Anne Rice's Interview with the Vampire", in: Joan Gordon and Veronica Hollinger (eds.), Blood Read: The Vampire as Metaphor in Contemporary Culture, University of Pennsylvania Press, 1987.
アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』とその後のヴァンパイア・クロニクルズについて、60・70年代の「解放」との関係で論じている評論。手法的にはフェミニズム文芸批評なんだと思う。たぶん。
ライスの作品世界、特に『夜明けのヴァンパイア』の物語構造を女性性の欠如とその帰結として捉える点や、肉体の支配と「自我」の強化を重ね合わせるあたりの論旨は面白いと思う。でもフーコーを使う理由はわからない。フランス語原書で読んでるわけでもなさそうだし。
ブックガイド
『別冊From SGI』(発行 スザク・ゲームズ / 発売 書苑新社)という雑誌で「ブックガイド」を執筆しています。よくある新刊紹介ではなく、毎回の雑誌のテーマに合わせた議論を展開しながら本を紹介するという企画なので、呻吟しながら本を選んでいます。
ちなみに、TRPGのメーカであるスザク・ゲームズが自社製品のサポートのために発行している会員向けのニューズ・レターが『From SGI』。SGIはSuzaku Games, Inc.の略です。『別冊』は一般向けに市販される雑誌で、自社製品のサポートを基本にしながら、より大人向けと言うか、成熟した読者層向けの一般記事も掲載しようという方針(だそうな)。その関係で寄稿しています。逆に言うと、「売り上げに貢献していない寄稿者」ってことになるんじゃないかと思う今日この頃。なんでも次号から『TRPGサプリ』という題名に変えてリニューアルするらしいし、そろそろ身の引き時かなあ。
[2001/01/14追記] ……と思っていたら、11月にリニューアル1号が出て献呈で送られてくるまで連絡がありませんでした。執筆依頼がないまま次号が出たわけで、どうやら連載を切られた模様です(笑)。まあ「連載」と約束していたわけでもないし、6号が最終回になってもおかしくないように原稿を書いたので良いのですが、「連絡しないのが終わりのメッセージ」というのが普通なのかなあ。むむむ、去るものは日々に疎し。
ここでは取り上げた本の一覧をご紹介します。これがどうやって結び付いているのか疑問になった方は、ぜひご購入のうえ実際の記事をご覧ください。発行元: スザク・ゲームズのウェブサイトはこちら。
一応書店流通のルートにも載っていますが、一般書店にはまず置いていないはず。TRPGを含むゲーム関係の充実した書店か、ゲームショップを探してください。「発売・書苑新社」と指定すれば書店からも注文できるはずですが、スザク・ゲームズの営業部に直接通販を申し込んだほうが簡単に手に入ると思います。
- 第1号掲載 「異端は異教より罪深い」
- 堀米庸三 『正統と異端: ヨーロッパ精神の底流』 中公新書
- 笠井潔 『サマー・アポカリプス』 創元推理文庫
- 第2号掲載 「壷とウサギとアヒルと三角形」
- コナン・ドイル 『シャーロック・ホームズの事件簿』(延原謙訳) 新潮文庫
- 森博嗣 『笑わない数学者: Mathematical Goodbye』 講談社ノベルズ
- 大森荘蔵 『知の構築とその呪縛』 ちくま学芸文庫
- 冨田恭彦 『哲学の最前線: ハーバードより愛をこめて』 講談社現代新書
- 池田清彦 『分類という思想』 新潮選書
- ポール・アンダースン & ゴードン・R・ディクスン 『地球人のお荷物』(稲葉明雄・伊藤典夫訳) ハヤカワ文庫SF
- 第3号掲載 「異界と現世の狭間」
- 小野不由美 『東亰異聞』 新潮文庫
- ジェイムズ・フレイザー 『金枝篇(1〜5)』(永橋卓介訳) 岩波文庫
- ジグムント・フロイト 『夢判断(上下)』(高橋義孝訳) 新潮文庫
- 阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男: 伝説とその世界』 ちくま文庫
- H. P. ラヴクラフト 『ラヴクラフト全集 3』(大瀧啓裕訳) 創元推理文庫
- 本田和子 『オフィーリアの系譜: あるいは、死と乙女の戯れ』 (叢書死の文化) 弘文堂
- TONO 『薫さんの帰郷: TONO初期作品集』 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) 朝日ソノラマ
- 第4号掲載 「脱=人称化としての非=日常性」
- 遠藤浩輝『EDEN: It's an Endless World!(1〜3巻)』 (アフタヌーンKC) 講談社
- 長尾龍一『政治的殺人: テロリズムの周辺』(叢書死の文化) 弘文堂
- 中沢新一『はじまりのレーニン』(同時代ライブラリ) 岩波書店
- 笠井潔『ユートピアの冒険』毎日新聞社
- 野阿梓『花狩人』ハヤカワ文庫JA
- 押井守(原作)・おおのやすゆき(画) 『西武新宿戦線異状なし』日本出版社
- ジャック・フィニィ『ゲイルズバーグの春を愛す』 (福島正実 訳) ハヤカワ文庫FT
- 第5号掲載 「悪夢の時間を超えて」
- 竹本健治『匣の中の悦楽』講談社ノベルズ
- 大原まり子『一人で歩いていった猫』ハヤカワ文庫JA
- カント『純粋理性批判 (上中下)』岩波文庫
- 大森荘蔵『時は流れず』青土社
- 高橋葉介『ヨウスケの奇妙な世界(10) ライヤー教授の午後』朝日ソノラマ
- 第6号掲載 「皮膚と魂の間隔」
- 士郎正宗『攻殻機動隊: Ghost in the Shell』講談社
- デカルト『方法序説』(落合太郎 訳) 岩波文庫
- 小池田マヤ『バツイチ 30ans』竹書房
- エイミー・トムスン『ヴァーチャル・ガール』(田中一江 訳) ハヤカワ文庫SF
- 養老孟司『唯脳論』青土社
- 黒崎政男『カオス系の暗礁めぐる哲学の魚』NTT出版
- 二宮ひかる『初恋』白泉社
友人の同人誌に載せた番外編の原稿です。Light というメーカの出した成人男性向けゲームで『White Angel』というのがあるらしく、「イヤな原稿を頼む」と言われたので題名だけをネタにしてみました。というか「あとがき」にも書きましたが、そのゲーム見たこともありません。ひどいも芸のうちと開き直ってみたりして。