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試験問題 (未実施)

以下の3問のうち1問を選択して解答せよ。
解答の冒頭に設問番号を記入しておくこと。どの設問に対する解答か不明の答案は採点しない。
1) ストア派において情念のない状態apatheiaの実現が目的とされたことにつき、「種子としてのロゴス」spermatikos logosと関連させて論ぜよ。
2) ルソーの社会契約説において、人民は共同体を守るために戦争で生命を危機にさらす義務を負っているか。一般意思・全体意思の概念を踏まえた上で論ぜよ。
3) カントの法理論において物権と債権とが峻別された理由について論ぜよ。

持ち込み許可物:


外部との通信手段、生物、音響を発し又は動作に外部電源を必要とする電子機器類を除く一切の持込を許可する。最終的には担当教員が判断する。

採点講評

本年度試験問題は3問のうち1問を選択して回答するものであった。各問に関する採点講評を下に示す。

1)

ストア派において、万物に内在していると想定された存在の目的が「種子としてのロゴス」であり、かつそれがその存在のあり方を規定していると考えられたことをまず指摘した上で、しかし人間が自己破壊的なものなどロゴスに反するように行為してしまう・できる理由と、過剰な衝動としてのパトスの関係について述べればよい。選択者は少なかったが、全体的に良くできていた問題。

2)

ルソーが、特殊意思の集計としての全体意思ではなく、全員に共通する利害を反映するものとしての一般意思に従った政治を提唱していたことをまず踏まえる。その上で、問題の趣旨が全体としての共同体を守るために個々人に犠牲になることを要求する一般意思と・生命の危険を回避したいという特殊意思の衝突をルソーがどう解決すべきと考えていたかにあることを意識して解答すればよい。特にこの問題で対照的なホッブズに言及できればさらに良い。ここで、適切に解答するためにはルソーが個人を共同体の一部として考えていたという結論だけでなく、なぜそうなるかという根拠を説明する必要があり、そのために彼の自然状態論(全体の利害を考えれば十分な財があるのに、個々人が個別に意思決定するから破綻してしまう)に言及することになる。他方、一般意思の確認方法に問題があることはこの問題に結論を出すためには不要な要素であり、書いても採点の対象にならない(むしろマイナスになる)。大多数が選択していたが、何を述べる必要があるかをきちんと意識した優秀な答案は非常に少なかった。

3)

設問で問われている「理由」には二つの理解があり、つまりどのような社会状況においてどのような課題解決が求められていたかという外的な事情と(本問では、典型的には二重売買の解決)、どのような理由・論拠によって一定の結論に至るかという内的な論理である。しかし外的な課題の解決法は一通りではないので(プーフェンドルフやグロティウスも彼らなりに解決策は提示していたわけである)、なぜその対策を選んだかという問いに答えられない前者のルートは評価が低くなる。後者については本問の場合、直接的には世界を意思決定主体たる人格と・その対象である物に二分したので、人格間関係としての債権と・人格の物に対する関係としての物権が区別されたというのが解答になるが、なぜ世界を人格と物に分けるかという点に答えられなければ三行で終わってしまう。そこで認識論におけるカントの「コペルニクス的転回」に立脚して倫理学上の立場の転換が起き、それを前提として「権利の体系」としての民法が構想されたという議論を(紙幅の許す程度で要約して)展開することになろう。

全体的に

問題2)に対する講評でも書いたが、この問題で何が問われているかを意識して解答する必要がある。特にこの科目は「法思想史」なので、重要なのは一定の問題にある時代のさまざまな思想家がどのような解答をどのような論拠で選択したかということに対する理解であり、その問題に解答者がどう答えるかということは基本的にどうでもいい。もちろん法思想史を学ぶ意義がどこにあるかと聞かれれば、思想的な理解を踏まえて自己の見解を磨くことができるとしばしば答えることになるが、しかしそれは正しい理解ができているかどうかとはさしあたり別の問題である。この違いを認識できておらず、解答者独自の見解を述べていた答案が、特に問題2)に多く見受けられた。問われているのはあくまで「ルソーの社会契約説において(……)義務を負っているか」なので、ルソーの社会契約説に問題があるとして(あると私も思うが)そこを修正した場合に結論がどうなるかということは設問とは無関係である。もちろん解答を適切に終えたあとで付加的に私見が述べられている場合には楽しく読ませていただくが(そして気の利いた内容であれば評価が高くなる可能性もあるが)、そもそもの設問に答えずに私見のみを述べている答案は解答として不適切であると評価せざるを得ない。
今回、この点を取り違えて自己の立場から義務の有無について検討した答案が複数あり、なかにはそれ自体の議論としては興味深いものもあったので評価については迷うところがあったのだが、やはり設問に対する解答としての性格を重視し、基本的には不可とした(解答としては低評価しかできないので、再挑戦してもらったほうがいいだろうという判断もある)。自信のある答案を書いたのに成績と一致していないと思った場合、まずこの点でそもそもの考え違いをしていないかを確認してほしい。

成績評価に関するデータ

評価
人数 (割合)
S
14 (11.0%)
A (優)
39 (30.7%)
B (良)
52 (40.9%)
C (可)
22 (17.3%)
D (不可)
27

2011年度入学者については5段階(S/A/B/C/D)、それ以前の入学者については4段階(優/良/可/不可)により評価することとなっているため、採点を上記の5段階で行なったのち、2010年度以前入学者についてはS/Aの双方を「優」とした(つまりS/Aの区別は公式には記録されていない)。割合は試験による合格者に対するものである。
なおこれ以外に、レポートで代替した学生が1名いる。