採点講評
本年度試験問題は3問のうち1問を選択して回答するものであった。各問に関する採点講評を下に示す。
1) 情報化社会の到来によって生じた統治可能性への影響について論じなさい。。
「統治可能性」の語義について述べたうえで、それを支えている構造と、それが情報化社会においてどのように変化しているかについて(あるいは変化していない部分について)指摘すればよい。基本的にはボトルネックの存在による権力の伝播とその構造が失われつつあることを指摘するのがスタンダードかと思うが、そのような展開と関係なく直接的権力や予期的権力の特徴に関するまとめを長々と書いている答案は評価が低くなった。教材に書いてあるようなことを持込可の試験でどれだけ写しても「理解している」という証明にはならない(むしろネガティブに捉えられる)ことに注意。
2) 知的財産制度における著作権制度の特殊性について説明し、それにより生じ得る問題について論じなさい。
独占的・排他的な権利を一定期間創作者に許諾することによって知的財産創作へのインセンティブを確保すると同時にその確保にインセンティブを持つ主体を確保するという特徴は知的財産権制度全体に共通なので、くだくだしく述べる意味はない。講義でも指摘した通り、特徴としては(1)無方式主義であること、(2)権利保護期間が非常に長いこと、が中心となる。保護対象が曖昧であることは(1)の帰結、現実的には利用価値がないにもかかわらず存続し続ける権利が多発することは(1)(2)の相乗効果で発生する帰結だが、たとえば技術発展に伴って保護対象かどうかの境界線上にある創作物が発生してくるといった現象は特許権でも見られるもので、著作権制度特有の性格だとは言えない点に注意。「問題」としては上記の現象やその典型としての「オーファンライツ」問題、あるいは人格権との関係などを指摘すればよい。
3) 以下の見解について論じなさい。
そもそも有体物は、誰か特定の人しか利用できない。それゆえ正当な支配者による有体物の利用は、他の人々による利用と両立しない。ここに自己所有権テーゼから財産権を認めるべき理由がある。しかし著作物や発明のような無体の財の場合は、創造者以外の人がそれを利用しても、創造者による利用の自由を妨げるわけではない。つまり無体の財には自然の排他性がないのである。自己所有権テーゼだけからでは無体財産権は正当化できない。かえって無体財産権は、社会一般の人々がその財を利用する自由を、創造者の自由と両立するにもかかわらず、人工的に制限していることになる。
出典は森村進『自由はどこまで可能か:リバタリアニズム入門』(講談社 2001)。文中にもある通り、自己所有権を自然権と考えるタイプのリバタリアンによる無体財産権否定論である。通説的見解であるインセンティブ説を記述した上で問題文の見解を批判するという方法がすぐに考えつくと思うが、問題はそれ自体が帰結主義的な論法なので「結果がよい制度の方が望ましい」という基準を共有しない森村のような自然権的論者には通用しない点にある。ほとんど選択者のいなかった問題。
補足
なお本年度の試験では計2名を不可とした。そのような答案の問題点は、一言で言えば「聞かれたことに答えていない」に尽きる。たとえば設問2を例に挙げると、著作権制度の特殊性を問題にしているのであるから知的財産制度の一般的性格についてはそれを明らかにするのに必要な範囲で言及すればよく、それを超える範囲で・しかも教科書から写せば書けるようなことを長々と記載しても能力の証明にはならない。また、指摘した特殊性と起き得る問題のあいだに関連性がないとか、これだけ持ち込み制限の緩やかな試験であるにもかかわらず制度のごく基本的な点で誤解がある、答案があまりにも短いなどといった事柄もマイナスに働くだろう。該当者には、試験に答える姿勢を根本的に再検討することを望みたい。