公共経済学,財政学が主な専門分野です。過去の研究領域と最近の関心領域は次の通り。
ようやく『ミクロ経済学入門』(ミネルヴァ書房)が完成しました。市場の失敗,不確実性,所得分配の理論,再分配政策など,あまり普通 の教科書で論じられていない部分も盛り込んであります。また,数学付録もつけておきました。制約条件付き最大化問題の解説も書いてあります。
最近,「新自由主義が格差を拡大させた」という議論が流行しています。そうした議論の中には,何が「新自由主義的」で,何がそうでないのかもあやふやな議 論が多くあります。また,格差の拡大にはみせかけの部分が相当あるんですが,それについても無知な学者が相当います。『ミクロ経済学入門』で,所得分配の理論や再分配政策にかなりのページを割いたのは,格差についてのこうしたいい 加減な議論に注意を与えたかったからという理由もあります(2012/2/29)。
フリードマンの『資本主義と自由』を久しぶりに読みましたが,やはりすごい(というかものすごい)。私は,少し前に書いた論文「人的資 本投資におけ る政府の役割」(『会計検査研究』第30号,2004年9月)で,教育や職業訓練などの人的資本投資の収益の不確実性にまつわる問題をとりあげました。人 的資本投資の不確実性は,他の資産の収益率の不確実性と異なり,リスク分散が困難です(投資先が自分自身に限られるから)。人的資本投資の収益の不確実性 が大きいと,人々は「保守的」すぎる職業選択を行います。それは,社会全体としては好ましいものではありません。一つの解決法は,所得(人的資本投資の収 益)に対する課税です。これにより,課税後収益の分散が小さくなり,人々が人的資本投資においてチャレンジングになります。ところが,『資本主義と自由』 に同じ話が書いてありましたね。リスクのある事業の資金調達を株式で行うと,リスクを負担してもいいと思う投資家に事業のリスクを負担してもらうことがで きます。フリードマンは教育や訓練費用の費用をちょうど同じような方法で行えばよいと議論しています。ただし,個々人が株式を発行することは現実的でない から,教育資金を税で賄い,教育投資終了後の所得に応じて所得税を割り増しする方法を提案しています。これにより,教育投資のリスクは社会全体で負担する ことができます。私の書いた話と同じですが,もっとロジカルでした。この話は,学生時代に読んだときには気づきませんでした(その時はわからなかったんで すね)。後は,ケインズ的な財政政策の効果を否定する議論で,公共支出と民間支出との直接的な代替関係の話がでてきますが,こうした議論が一般 的になったの は,1980年代のAschauerらの論文が最初だとばかり思っていました(資本主義と自由』は1962年出版)。経済格差を扱った章も,ほとんどの問 題がこの本で言い尽くされているような気がします。(2009/04/03)
2005年度の修士論文(法学研究科政治学専攻)の審査で,フィリピンの政治の論文を読んだ際,なぜ,ある地域で工業化が進んだのに, 別の地域では そうでなかったのかという疑問が浮かびました(多くの政治学系の論文がそうですが,事実の時系列的記述に終始していて,「何故か」という視点がありません でした)。これについては,「土地の分配が比較的平等だったか,そうでなかったか」が決定的に重要だという議論があります。それによると(フィリピンの話 ではなく北米と南米の比較の話ですが),北米では比較的平等に土地が分配されていたのに対し,中南米では少数の者が土地を支配し大規模農園を営むのが普通 でした。このこと自体が所有権の尊重,市場経済の進展と関係ありますが,それはさておき,時代が変わって工業化の波が押し寄せてくると,労働者には新しい 時代にあわせた教育が必要になってきます。ところが,農民や奴隷が教育を身につけることは,地主の既得権益を侵すことにつながります。北米の場合には地主 は強力な抵抗勢力にならなかったのですが,中南米では大地主は国家権力を動かすほど勢力が強く,このことが工業化の芽をつんでし まったというのです。 この話は,「セイヴィング キャピタリズム」(ラグラム・ラジャン,ルイジ・ジンガレス著,慶應義塾大学出版会,2006年)の序章に書いてあります。 (2006/04/16)
Original:2002-Mar-14; update:2012-Mar-21; (C)麻生良文,Yoshibumi Aso, Professor, Faculty of Law, Keio University, aso@law.keio.ac.jp(メールは@を半角に直す)