「ホーリズム」の擁護

野家啓一(東北大学)


1.ホーリズムと新科学哲学
 本日は「日本ポパー哲学研究会」の集まりですが、この講演では、ポパーの批判的合理主義とは見解を異にする新科学哲学の潮流を「ホーリズム」という観点から捉え直し、その立場を擁護したいと考えています。新科学哲学 (New Philosophy of Science) とは一九五〇年代末から六〇年代初頭にかけて論理実証主義の公認学説に反旗を翻して登場した一群の科学哲学者の思想を指しています。具体的な人名と著作を挙げれば、N.ハンソン『科学的発見のパターン』(1958)、M.ポラニー『個人的知識』(1958)、S.トゥールミン『予見と理解』(1961)、T.クーン『科学革命の構造』(1962)、P.ファイヤアーベント「説明・還元・経験主義」(1962)といったところが代表的なものです。彼らに共通するのは、後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論とクワインの「認識論的ホーリズム」から強い影響を受けていることです。
 このうちハンソンは、「純粋な観察」や「裸の事実」の存在を否定し、観察に対する理論の認識論的先行性を主張して、観察の「理論負荷性」テーゼを提起しました。つまり、観察は単なる感覚与件の受容にとどまるものではなく、理論的文脈を背景にした「意味」の把握だということです。これは、観察言語と理論言語とを峻別し、理論から独立の中立的な観察言語を理論の正当化(検証と反証)の基盤と考えた論理実証主義の基本テーゼに対する正面からの反措定でした。そこから、理論は観察事実によって打ち倒されるのではなく、新たに提起された別の理論によって科学的知識の座を奪われるのだ、という科学観が導き出されます。この理論転換の歴史的構造を解明したのがクーンの『科学革命の構造』にほかなりません。
 新科学哲学の最大の特徴は科学史と科学哲学を融合させ、科学哲学に歴史的観点を持ち込んだことにあります。論理実証主義が科学理論を個別の命題からなる形式的体系と見なしてその論理分析に専念したのに対し、新科学哲学は科学理論を有機的な信念体系と見なして概念の文脈依存性を強調し、その歴史的・社会的分析を重視します。そのことから新科学哲学には、一般に相対主義的、多元主義的、反実在論的な傾向が顕著に見られます。要するに、新科学哲学は「科学は合理的に進歩する」という既成の科学観に根本的な異議申し立てを行ったのだと言うことができます。具体的には、科学的知識の累積的性格(新理論は旧理論を部分として包摂する)の否定、理論転換を先導する論理的アルゴリズムの否定、その帰結としてのホイッグ史観(進歩史観)の否定といったところが、その異議申し立ての主な内容です。その結果、科学の歴史は「連続的進歩」の相においてではなく、「断続的転換」の相のもとに記述されることになります。そのような科学像を凝縮した形で提出したのがクーンの科学革命論でした。
 以上のような新科学哲学のテーゼが初めて提起されたのは先の諸著作においてでしたが、それが共通の主張をもつ一つの学派ないしは潮流として認められたのは七〇年代に半ばに入ってからのことでした。実際、「新科学哲学」という呼称が用いられたのは、一九七四年に発表されたキジールとジョンソンの論文「アメリカ合衆国における新科学哲学」(Zeitschrift fuer allgemeine Wissenschaftstheorie,vol.5) をもって嚆矢とします。この六〇年代半ばから七〇年代の半ばに至る十年間は、いわゆる「パラダイム論争」の時期でした。その出発点は、一九六五年七月に行われた科学哲学国際コロキウムにおいて開かれた「批判と知識の成長」と題するシンポジウムでした。ここでは、後にポパー派によるクーンの「袋叩き」と称されたほど熾烈な討論が展開されましたが、旧科学哲学と新科学哲学との対立の構図が鮮明になったという意味できわめて重要な会議でした。
 このシンポジウムをきっかけに、ラカトシュが「科学的研究プログラムの方法論」を提起し、さらにはファイヤアーベントが「知のアナーキズム」を主張するなど、論争は一段と広がりを増し、また深化されました。両者がともに、もともとは「ポパー派」に属する科学哲学者であったことは、その意味で興味深いことです。それというのも、彼らはこのパラダイム論争を通じて、新科学哲学の潮流へと「改宗」を遂げてしまったからです。その観点から見れば、この「批判と知識の成長」をめぐるシンポジウムは、いわば科学哲学上の「パラダイム転換」をめぐる論争であり、新旧のパラダイムが競合する「危機」の状態を象徴するものでした。
 この「危機」状態は八〇年代半ばにほぼ終息し、論争は終わりを告げます。私自身はこれを基本的に新科学哲学へのパラダイム転換が完了したものと受け止めておりますが、もちろんここにお集まりの皆様がそれに異論を唱えられるであろうことは十分に承知しております。ただ、一九八六年に"Synthese"誌が「科学的変化をめぐる諸理論をテストする」と題した特集を行い、そこでL.ローダンほか七名が連名で「科学的変化:哲学的モデルと歴史的研究」という八〇頁に及ぶ長大な論文を発表しているのは注目に値します。これは、先のシンポジウムから二〇年後に行われた、一連のパラダイム論争の「総括」と目すべきものだからです。そこでは「実証主義ないしは論理経験主義の立場が、現在までに事実上論駁されてきた」ことが明確に認められており、それに代わる潮流が「<ポスト実証主義>理論」として特徴づけられています。しかも、その代表として詳しい検討の対象になっているのがクーン、ファイヤアーベント、ラカトシュ、ローダンの四名であることは、科学哲学における潮流変化を何よりも雄弁に物語っていると思われます。
 私の考えでは、パラダイム論争は、科学哲学上の「アトミズム(要素論)」と「ホーリズム(全体論)」の間の対立と相克でした。一つ目は、科学的知識の単位を個々の「命題」とするか、「知識-信念体系」の全体と見るかの違いです。二つ目は、科学的知識の担い手を「合理的個人」と見るか、「科学者共同体」と見るかの違いにほかなりません。以下ではこの二点をめぐる対立について、「ホーリズム」を擁護する立場から考察を展開してみたいと思います。

2.デュエム=クワイン・テーゼ
 「ホーリズム」とは、部分と全体との関係において、部分に対する全体の先行性を主張する立場を指します。アトミズムが全体は部分(要素)の算術的総和に還元可能と考えるのに対し、ホーリズムはそうした還元を認めず、部分(要素)は全体の体系的文脈のなかでのみ規定可能と考えます。この言葉自体は「全体」を意味するギリシア語「ホロス」に由来し、哲学上の用語としては、J.S.ホールデーンの生物学理論から影響を受けた南アフリカの哲学者J.C.スマッツが『全体論と進化 (Holism and Evolution)』(1926)のなかで初めて用いました。一般にホーリズムは、要素論(原子論)、機械論、還元主義などと対立し、逆に有機体論やシステム理論と親和性をもつと言うことができます。
 科学哲学におけるホーリズムの主張は、フランスの物理学者P.デュエムの問題提起にまで遡ります。通常、科学的仮説が検証や反証の実験に晒される場合、その基本単位は個々の「命題」であると考えられてきました。それに対してデュエムは、『物理理論の目的と構造』のなかで次のように反論しています。

「理論物理学の仮説のおのおのを、それを単独で観察による審査に従わせるために、この科学が依拠している他の諸々の仮定から切り離そうとすること、それは空想物を追いかけることである。というのは、いかなる物理学上の実験であれ、その実験の実現と解釈は、諸々の理論命題の全体に対する同意を含んでいるからである。論理的に欠落していない物理理論に関する実験による唯一の審査とは、物理理論の全体と経験法則の全体とを照合すること、そして、後者が前者によって満足のいくような仕方で表象されているかどうかを判断することに存する。」(『物理理論の目的と構造』小林道夫ほか訳、勁草書房、1991年、270頁)

 簡単に言えば、実験の対象となる仮説(主要仮説)は、それを支える他のさまざまな仮説(補助仮説)や背景的知識と有機的に結びついた全体をなしているのであり、当の仮説だけを切り離して単独で検証や反証にかけることはできない、ということです。そのことから、反証に関する重要な帰結が導かれます。デュエム自身の言葉を借りれば「仮説は、その本性がどのようなものであれ、決して経験によって単独には反証されえない。実験上の反証は常に理論の全体にまるごと及ぶ。その際、何ものも、この全体のうちで排除されねばならない命題はどれかということを指定しはしない」(同前、292頁)ということです。つまり、主要仮説に対する反証例と見えるものも、実は理論全体に対する反証例なのであり、したがって補助仮説を修正することによって主要仮説を救済することもできる、ということにほかなりません。いわば、科学理論の正当化の場面においても「蜥蜴の尻尾切り」は常に可能だ、ということになります。
 デュエムはこのホーリズムの適用範囲を慎重に物理理論の内部のみに限定しました。数学や論理学においては排中律が成立する以上、決定的な反証が可能であると考えたからです。それに対してクワインは「経験主義の二つのドグマ」(1951) において、ホーリズムの適用範囲のなかに数学や論理学をも含め、さらに日常言語で表現される観察命題(観察文)の領域にまで拡張しました。その前提になっているのは、分析命題(数学、論理学)と総合命題(経験科学)との間に明確な一線を引くことはできない、という彼の「分析と総合の区別」に関する連続主義のテーゼです。
 当然ながら、総合命題の間でも理論命題と観察命題との間に一線を画することはできません。クワイン自身は言及しておりませんが、観察の「理論負荷性テーゼ」を受け入れるならば、理論から独立に中立的な観察言語を指定することは不可能だからです。したがって、クワインは検証や反証の対象をわれわれの「知識-信念体系」全体であると考えます。彼の言葉を借りれば「外的世界についてのわれわれの言明[命題]は、個々独立にではなく、一つの団体として、感覚的経験の裁きに直面する」(『論理的観点から』飯田隆訳、勁草書房、1992年、61頁)というわけです。これが、「命題」を基本単位として仮説の正当化を考えていた論理実証主義の科学哲学に対する根本的な反措定であることは明らかでしょう。しかも、そこからは次のような驚くべき帰結が引き出されます。
「体系のどこか別のところで思い切った調整を行うならば、どのような言明に関しても、何が起ころうとも真と見なし続けることができる。周縁部にきわめて近い言明さえ、それにしつこく反するような経験に直面したとしても、幻覚を申し立てるとか、論理法則と呼ばれる種類の言明を改めることによって、相変わらず真と見なし続けることができる。逆に、まったく同じ理由から、どのような言明も改訂に対して免疫があるわけではない。排中律という論理法則の改定さえ、量子力学を単純化する一手段として提案されている。そして、こうした転換と、ケプラーがプトレマイオスに取って代わった転換、あるいはアインシュタインがニュートンに、ダーウィンがアリストテレスに、といった転換の間に原理的にどういう違いがあると言うのだろう。」(同前、64頁)

 反証例が見つかった場合の対処の仕方は、デュエムとクワインで変わるところはありません。いわゆる「蜥蜴の尻尾切り」であり、それをクワインは体系全体の「再調整」と呼んでいます。しかし、クワインの場合、その尻尾には論理法則も含まれるというのです。これはデュエムの考えもしなかったことです。それゆえ、クワインの拡張路線に対しては、科学哲学者の間でもさまざまな批判があります(わが国では、たとえば小林道夫『科学哲学』産業図書、1996年、第8章を参照)。ただ、私としては、量子力学や直観主義数学の事例がある以上、クワインの立場は十分に支持できると考えています。
 デュエムとクワインによって提起されたこのホーリズムの主張は、科学哲学においては「デュエム=クワイン・テーゼ」と呼ばれています。そこからは、一つの重要な帰結として「決定実験の不可能性」が導かれます。一般に、ある現象を説明するために複数の科学的仮説が競合している場合、一方を肯定し他方を否定する「決定実験」を行うことによって、仮説の成否が決められると考えられています。しかし、このテーゼによれば決定的反証は不可能であり、常に「蜥蜴の尻尾切り」が可能なのですから、決定実験は無意味なものとならざるをえません。 その事情を少し形式的に説明したいと思います。いま、Pを問題となっている仮説、Qをそこから演繹されるテスト命題とします。すると反証の手続きは次のように形式化されます。

(1)P→Q,¬Q ⇒ ¬P

これは否定式と呼ばれる妥当な論理的推論であり、その限りでは、検証とは違って反証は論理的に正当な手続きです。しかし、「デュエム=クワイン・テーゼ」は、この仮説Pが主要仮説、補助仮説、背景的知識などからなる複雑な構造をもった理論全体であることを主張します。単純化のために背景的知識は無視し、主要仮説をM、補助仮説をA1,A2,A3・・・と表記することにします。すると先ほどの推論式は次のようになります。

(2)(M∧A1∧A2∧A3∧・・・)→Q,¬Q ⇒ ¬(M∧A1∧A2∧A3∧・・・)

 この結論が(¬M∨¬A1∨¬A2∨¬A3∨・・・)と同値であることは簡単に分かります。たしかに理論全体が反証されていることは事実ですが、主要仮説や幾つかの補助仮説のうちどれが否定されるべきかは一義的には決まりません。しかもラカトシュが言うように、「科学者は厚顔なのだ。彼らは事実が理論に合わないからといって理論をおいそれとは捨てない」(『方法の擁護』村上陽一郎ほか訳、新曜社、1986年、6頁)のですから、科学史上の事実に徴する限り、主要仮説が否定されることはめったにありません。しかも、補助仮説のなかには「観察者の視力は正常である」や「実験装置は誤作動をしていない」のようなトリビアルな前提も含まれているのですから事態はいっそう複雑になります。決定的な反証が不可能だと言われるゆえんです。
 実際、ポパーですら「確かに、理論の決定的な反対証明は決してできない。なぜなら、実験結果が信頼できないといい抜けたり、実験結果と理論との間に存在すると主張される食い違いは外見上のものにすぎず、われわれの理解が進むにつれて生滅するであろうと言い抜けることは常に可能だからである」(『科学的発見の論理(上)』大内義一、森博訳、恒星社厚生閣、1971年、60頁)と述べています。そして、ポパーが称揚するアインシュタインが量子力学に反対したのは、まさにこのような論拠からでした。したがって、ポパーの反証理論は論理的主張というよりは、むしろ科学者が順守すべき規範を述べた倫理的主張ではないかと私は考えています。そのような科学社会学的提言としてなら、私はポパーに与しますし、それに反対する理由をもちません。
 以上のように「デュエム=クワイン・テーゼ」は、反証の過程においてすら、理論選択を強制する一義的な論理的アルゴリズムが存在しないことを明らかにしました。それでは、論理的基準が存在しないのならば、実際の理論選択はいかなる基準に従ってなされるのでしょうか。クワインはそれに「保守主義」と「プラグマティズム」をもって答えています。つまり、そこでは知識-信念体系の全体をできるだけ乱すまいとする傾向と理論の単純性の追求などの考慮が働く、ということでしょう。
 この点に関しては、デュエムの回答の方が私には説得的と思われます。彼は理論選択に当たっては「純然たる論理がわれわれの判断の唯一の尺度なのでは決してない」として、続けて「論理に由来しないけれどもわれわれの選択の方向を決める動機、あるいは、幾何学的精神ではなく繊細の精神に語りかける、理性が知らない理由というものが、まさしく良識 (bon sens) と呼ばれるものを構成する」(同前、293頁)と述べています。デュエムがパスカルとデカルトに託して語ろうとしていたのは、論理的を金科玉条とする「固い合理性」に対置されるべき、歴史的・社会的諸条件をも適切に考慮した「柔らかい合理性」の可能性だと言えるでしょう。あるいはそれを、「状況倫理」になぞらえて「状況論理」と呼ぶこともできるかもしれません。そして、この「柔らかい合理性」ないしは「状況論理」の内実を科学の発展に即して解明したところにこそ、新科学哲学の最大の功績があったと私は考えています。

3.クーンとホーリズム
 新科学哲学の領袖と目されるクーンの科学革命論に対しては、一連のパラダイム論争を通じて、相対主義、非合理主義、群集心理学といった悪罵が投げつけられてきました。それが単純な誤読か為にする誤解に由来するイデオロギー的批判にすぎないことは、拙著『クーン』(講談社、近刊)のなかで詳しく論じましたのでここでは繰り返しません。以下ではクーンとホーリズムの関係について、これまで余り論じられてこなかった事柄を中心に述べてみたいと思います。
 クーンはパラダイム論争以後、特に八〇年代に入ってから、いわゆる「通約不可能性」の概念を語彙論的ないしは意味論的考察援用して補強し、洗練させることを目指していました。その仕事は『科学的発展と辞書的変化』と題する著作となって刊行される予定になっていましたが、残念ながらクーンの急逝により実現されないままに終わりました。ただ、その内容は、彼が晩年に発表した幾つかの論文を通じて窺うことができます。
 一九八三年にアメリカ哲学会で行われたシンポジウム「C.G.ヘンペルの哲学」において、クーンは「合理性と理論選択」と題された論文を発表しています。注目すべきは、そのなかで彼が自分の立場を「局所的ホーリズム (local holism)」と名づけていることです。「局所的」と限定を付けているのは、おそらくクワインの「全面的ホーリズム」に対する留保であろうと思われます。クワインが数学や日常言語までをも含めたホーリズムを考えているのに対し、クーンはホーリズムの適用範囲をあくまでも「経験科学」の領域に限定しています。その点では、ホーリズムに関するクーンの見解は、先に見たデュエムの立場に本卦帰りをしたものと言うことができます。
 この局所的ホーリズムの出発点を、クーンは「少なくとも科学言語の指示的用語の多くは、一度に一つずつ習得したり定義したりはできず、群 (cluster) として学ばれねばならない」(Journal of Philosophy, vol.80, no.10, 1983, p.566) ということに求めています。たとえば、ニュートン力学の基本語彙である「力」と「質量」を取り上げてみましょう。われわれはこれらの概念を別個に一つずつ習得することはできません。力と質量はニュートン力学の第二法則(F=mα)によって密接に結びつけられているからです。第二法則はニュートン力学の核心(ラカトシュはこれを「堅い核」と呼びました)をなす運動方程式を与えるものですから、力や質量の概念を習得することは、そのままニュートン力学の全体を学ぶことにつながっています。
 ここに見られるのは、部分と全体の間の「解釈学的循環」とも言うべき事態であり、部分を全体から切り離すことはできません。したがって、この質量概念だけを相対論的な質量概念で置き換えることはできない道理です。その変更は直ちに理論全体へと波及するからです。その結果、基本語彙や理論の核心部分の変更は部分的な手直しに留まることはできず、理論全体の全面的変更とならざるをえません。クーンの言う「パラダイム転換」がホーリズムの立場と不可分であることがおわかりになると思います。
 「パラダイム転換」の概念が激しい批判にさらされたのは、クーンがそこに合理的基準が存在しないと主張したからでした。しかし、彼が述べたかったのは、科学革命期の理論選択に際しては、歴史貫通的に機能する唯一の論理的アルゴリズムは存在しないということにすぎません。まして、それを「群集心理学の問題」に帰着させたことなど一度もありません。実際、クーンは「客観性、価値判断、理論選択」と題された論文のなかで、理論選択の「共通基盤」について詳しい考察を行っています。その基盤とは、精確性、無矛盾性、広範囲性、単純性、多産性の五つです。これらの項目は、旧科学哲学が掲げていた理論選択の基準とほとんど変わるところはありません。ただし、クーンはこの共通基盤を厳密な「規則」や「基準」として捉えることを拒否し、それをゆるやかな「価値」として特徴づけます。それというのも、これらの項目は、実際の理論選択に際しては互いに対立し合い、両立し得ないことがほとんどだからです。その点について、クーンは次のように述べています。

「たとえばプトレマイオスの天文学理論とコペルニクスの天文学理論、燃焼に関する酸素理論とフロギストン理論、ニュートン力学と量子力学といった選択の際に、こうした基準を用いなければならなかった人々はいつも二種類の困難に遭遇してきた。それぞれの基準は個別的に見れば漠然としたものである。それゆえ、具体的場面に対して基準を適用する仕方が個々人によって異なっても不当なことではない。そのうえ、複数の基準が一緒に用いられた時、それらが対立することが何度もある。たとえば、精確性においてはある理論を選ぶべきだが、広範囲性においてはその競合理論を選ぶべきだという場合である。」(『本質的緊張2』安孫子誠也・佐野正博訳、みすず書房、1992年、418頁)

 実際、無矛盾性という基準ではプトレマイオス説の方がコペルニクス説に優っていましたが、単純性という観点からは後者のほうが前者を凌駕していました。また、量子力学は精確性、広範囲性、多産性のいずれをとってもニュートン力学より優れていましたが、無矛盾性と単純性において、ニュートン力学に一歩を譲っておりました。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と述べて量子力学を拒否したのもそのためでした。ですから、理論選択は規則を一義的に当てはめる「固い合理性」を振り回すだけでは決まりません。そこでは、さまざまな条件を考慮に入れ、相反する価値を考量する「柔らかな合理性」が要求されるのです。先に「状況論理」と言ったのも、まさにそのことにほかなりません。それゆえクーンが提起したのは、合理性を否定することではなく、合理性の幅を広げ、その内実を更新することでした。その意味で、クーンはむしろ、科学を論理分析というプロクルステスの寝台から解放し、その歴史過程を生き抜くダイナミックな姿を甦らせたのだと言うことができます。
 もう一つ、ホーリズムに対するクーンの寄与は、科学的知識の担い手を「合理的個人」ではなく、「科学者共同体」に見定めたことにあります。これは社会科学において「方法論的個人主義」と「方法論的全体論」との対立軸を形作ってきた問題です。ポパーが前者の立場を取っていることは言うまでもあません。それに対してクーンは、一九八六年に来日した折に行われた講演「歴史所産としての科学知識」において、旧科学哲学を「静的アプローチ」、新科学哲学を「発展的アプローチ」として特徴づけながら、前者の見方を批判しています。
 旧科学哲学では、知識の担い手は科学者をモデルにした「合理的個人」とされており、そこから科学哲学の目標も、合理的個人が無知の状態から出発して、いかにして仮説を正当化して知識を獲得するかの過程を解明することに置かれます。しかし、クーンによれば、これは科学を「ワンマンゲーム」と見なす立場であり、その背景にあるのは「方法論的独我論」にほかなりません。科学者は白紙状態から研究を始めるわけではなく、科学者共同体によって支えられた研究実践の伝統に帰属することから研究を出発させます。その意味で、研究は「社会的実践」なのであり、その解明には当然にも科学社会学的アプローチが必要になります。その点をクーンはこう敷衍しています。
「静的伝統においては、信念の権威というものはそれが成功裏に対処した正当化の手続きから引き出されるのであり、合理的個人であれば誰でも必要なテストを司る立場にあると考えられていました。(中略)ところが発展的アプローチにおいては、科学は原則においてすらワンマンゲームではなく社会的実践となりました。今や信念の合理性を擁護するのは個人ではなく集団であり、擁護される信念の多くは共同体の生活方式の構成要素であるがゆえに、正当化の対象にはなりません。心理学者や社会学者そしてとりわけ人類学者の視点が、結局は哲学に関連してくるのです。」(「歴史所産としての科学知識」佐々木力・羽片俊夫訳、『思想』1986年8月号、12頁)

 ここでクーンが「合理性」の問題を心理学者、社会学者、文化人類学者たちに預けていることを奇異に思われるかも知れません。そのことから、彼を非合理主義者と非難する人たちも現れました。しかし、クーンが主張しているのは、「合理性」を論理的正当化の手続きから切り離し、それを社会的実践を導く共同体的規範の問題として捉え直そうということであり、それ以上のことではありません。そこには、「科学者共同体」という集団がもつ特殊な性格が関わっています。この共同体には、望めば誰でも参加できるというわけではありません。ご承知のように、そこに参入するためには、厳格な学問的訓練を受け、研究者としての資格を認定され、一定の研究実績をあげる必要があります。その意味では、科学者共同体は学問的「権威」をもった専門家からなる自律的な職能集団であり、反面ではきわめて閉鎖的な集団にほかなりません。クーンはこの共同体を律する最高の原則として「科学上の問題においては国の支配者や一般大衆に判断を仰いではならないという禁則」(『科学革命の構造』第13章)を挙げています。つまり、科学者共同体における業績判定の基準は専門家どうしによる「同僚評価 (peer review)」のみであり、そこに世俗の権威の介入や素人の口出しはいかなる理由があっても許されません。
 逆に言えば、このような自律性と閉鎖性をもつからこそ、われわれは科学者たちの研究現場における判断を尊重し、彼らが学会という公開の場で討議を重ねた上で認定した知識を信頼して受け入れることができるのです。しばしば物議をかもしたクーンの、科学革命期の理論選択に当たっては「関係する共同体の同意を上回る高い基準は存在しない」(『科学革命の構造』第9章)という発言も、正しくこのような文脈に即して理解されねばなりません。つまり、科学的判断に関しては科学者共同体こそ最高の権威であり、宗教的権威や政治的権威といえどもそれを上回る基準とはなりえないということです。
 したがって、「合理性」はこのような科学者集団の行動規範という観点から考え直されるべきだ、というのがクーンの問題提起にほかなりません。それは「合理性」を宙に浮いた抽象的な概念ではなく、地に足の着いた具体的な概念として甦らせようとする提言でした。そのためにこそ、社会学者や文化人類学者の協力が要請されたわけです。先に私がポパーの反証理論を一種の倫理的主張と呼んだのも、それと別のことではありません。その意味では、クーンの科学革命論は科学社会学的アプローチによる「理性批判」の試みであったと言うことができます。彼の提言は、その後科学社会学の著しい隆盛をもたらしました。今や科学社会学は科学史および科学哲学と並んでトリアーデを形作り、現代科学論の不可欠の一角を占めていることはご承知の通りです。
 最後にもう一度繰り返させていただければ、科学哲学におけるホーリズムの役割は、科学的知識の基本単位を個々の「命題」から「理論全体」へと拡張し、また科学的知識の担い手を「合理的個人」から「科学者共同体」へと変更することにありました。この視座の転換こそ、旧科学哲学から新科学哲学への移行を促したものです。それは科学哲学における「パラダイム転換」とも言うべきものでした。われわれはもはやその地点から後退することはできません。「ホーリズムの擁護」を標題に掲げたゆえんです。御静聴ありがとうございました。


[付記]
本稿は1997年6月28日に行われた「日本ポパー哲学研究会・第8回年次研究大会」における講演「<ホーリズム>の擁護」をもとに書き下ろしたものである。講演では第3節で「ホーリズムと<理論的存在>」について論じたが、この部分はまだ筆者の考えが活字にして公表するほど固まっていないので、勝手ながら割愛させていただいた。代わりに、この研究大会のメイン・テーマであったクーンの科学哲学に関する私見を「クーンとホーリズム」として付け加えさせていただくこととした。御来席くださり、また御批判を賜った皆様の御寛恕を乞う次第である。