書評:『開かれた社会の哲学』

立花 希一
 長尾龍一、河上倫逸編『開かれた社会の哲学』未来社、1994年、241頁、2575円

 本書は1992年に京都賞を受賞したポパーの記念講演を中心に編まれた、論文集である。多岐にわたる内容の中から、問題が共有されていると思われる論文は3本である。それは、「批判的合理主義について思うこと」(有福孝岳)、ポパーと帰納法の問題」(竹尾治一郎)、知識の成長理論としてのポパー哲学」(高島弘文)の3論文である。しかし、有福論文はもっぱら高島論文に依拠しており、しかも「ポパー哲学について詳しいことは、何も知らない」(101頁)と断っておられるので、ここでは割愛させていただくことにしよう。

 これらの論文に共通していることは、帰納の問題を否蹄的に解決し、それに代わる科学の方法として推測と反駁の方法(あるいは誤り排除の方法)を提唱したというポパーの主張に対して否定的であり、帰納法の問題は解決されていないどころか、ポパーの提唱する方法の中に帰納的推論が紛れ込んでいるか、あるいは紛れ込んでいないとすれば、その方法は理論の合理的な進歩を説明する科学の方法としては、失格であるというものである。そして、帰納的推論をまったく断ち切ったとするポパーの方法は「ニヒリズム」に至るのではないかということほのめかす(insinuate)のである。

 この二つの論文とも、ポパーに代わる理論を展開しているわけでもないし、帰納法の問題を肯定的に解決する道を示しているわけでもない。科学理論の進歩を説明するためには反証可能性だけでは駄目で(さらに竹尾氏は、反証にも帰納的推論が含まれていると主張しているのだが)、「何らかの帰納」が不可欠であり、帰納の問題を(否定的にではなく)、肯定的に解決しなければならないという立場からポパーを批判しているのである。このような態度をポパーは肯定的理由を「渇望(hankers after)」(P. A. Scilpp ed. The Philosophy of Karl Popper, Open Court, Illinois, 1974, p.991,1037)していると表現し、その中で「肯定的理由は必要でもないし、可能でもない」(p.1041)ときっぱりと述べている。ここでは帰納の問題が肯定的に解決できるかどうかが争点であるが、ポパーの批判者たち(竹尾氏、高島氏共)の方も、肯定的に解決できると主張していない以上、帰納を肯定的に解決せよというのは「無いものねだり」ではないだろうか。では、帰納の問題を否定的に解決したというポパーの主張はニヒリズムなのだろうか。どういうものを「ニヒリズム」と呼ぶかということについての議論がなされていないので、実際のところわからないのであるが、過大な要求を掲げておいて、それを入手することができないからといって悲観的になったり、さらにはニヒリスティックになったりするのと似てはいないだろうか。この態度は、合理主義に過大な期待をした結果、失望して非合理主義に走ったという、ポパーの分析の中に登場する人々の態度に似ている(『開かれた社会とその敵』24章参照)。ニヒリズムは,ポパーにではなく、この批判者たちの方にあるのではなかろうか。

 帰納主義的哲学者によるポパー批判に対する返答は、D.ミラーが詳細に行っている。ここで詳説することはできないので、一例として、反証の場面でも帰納が用いられているという批判に絞って答えることにしよう。

 竹尾氏は、「理論は、繰り返される事例に基づいて反証される」としたうえで、それには帰納的推論が含まれていると主張している(139−40頁)。氏の説明は極度に限られているので、理解しにくいのであるが、帰納的推論なしには、テストに通過しなかった仮説(反証された仮説)が、次に繰り返されるテストにも通過しない(反証される)であろうという想定を保証することはできず、そして、繰り返されるテストによって反証されるであろうという保証−−−このために帰納的推論が必要となる−−−がなければ、仮説が反証されたと主張することはできないといいたいのであろう。このような考え方に対して、ミラーは、その「保証」がないことを率直に認める(p.36)。しかし、だからといって帰納的推論が必要だという議論を展開するわけではない。科学の目的は、真なる言明と偽なる言明を分類し、真なる言明を保持しようとすることであって、その目的のためには、ポパーの推測と反駁の方法(あるいは誤り排除の方法)は有効であり、「テストに通過しなかったことは、その仮説を偽なるものとして分類するための理由を与える」(p.36)という。すなわち、反証された仮説が繰り返される次のテストでも反証されるであろうという想定を保証することはできないとしても、そのことによって、竹尾氏のいうように反証が成立しなくなるのではなく、反証された仮説が普遍的に真であるというわけではないという意味で「反証された」と主張することができるというのである。詳細は、David Miller, Conjectural Knowledge: Popper's Solution of the Problem of Induction, In Pursuit of Truth, P.Levinson ed., Humanities Press, New Jersey, 1982, pp. 17- 49.を参照されたい。尚、ミラーの引用頁は同論文からである。