企業組織における批判的方法

蔭山 泰之

1.はじめに
カール・ポパーが提唱した批判的方法は、自然科学のみならず、社会科学や神学など実にさまざまな方面で論じられてきた。しかし、この方法が真に実践的な要求に根ざしているものであるとするならば(1)、その有効性は学問的領域のみならず、もっと幅広い分野で示されるものと思われる。そして、そのような分野の一つとして企業組織の経営が挙げられる。
現代の企業組織においては、大いなる成功や日々の営利活動のゆえに、企業本来の目標が見失われ、衰亡の憂き目に合うことがままあるが、このような事態を未然に防ぎ、企業の本来の姿を見失わせないようにするためには、批判的方法こそが最も効果的な原理たりえるのである。本稿では、この批判的方法が企業の中で具体的にどのようにその効果を発揮できるのかということを論じ、企業経営における批判的方法の応用の可能性への序説としたい。

2.変貌する企業環境
企業を成功に導くということが、現代社会において最も困難な営みの一つであるということは、IBMを一大コンピュータメーカーへと変貌させたトーマスJワトソンJrの次の言葉に明確に示されている。

「1900年にアメリカ合衆国の一流工業会社のトップ・グループに位していた25社のうち、現在でもなお同じグループに残っているのはわずかに2社に過ぎない。その1社は以前とすっかり同じものである。他のもう1社は、以前25社のうちに数えられていた7つの会社の合併体である。この25社のうちの2社は没落してしまった。また他の三つの会社は一つに合併したが、25社のリストからは没落してしまった。残る12社は引続き事業を行なっているが、実質上それぞれの地位から後退してしまっている。
このように数えてみると、企業というものが、いかに転変のはげしいものであるか、またたとえ成功にまでこぎつけても、それが長続きしがたいものであり、成功はいつでも手中からにげさりがちなものであることが、いまさらのようにわかるのである。」(2)
超優良企業と称賛されるような大企業でさえほんの数年後にはどうなっているかわからないという成功のこの脆さの原因は様々であろうが、直接的には企業を取り巻く環境が着実に変化していくということが挙げられるだろう。産業構造、需要構造など変化していく要因は様々であるが、ここでそのような企業を取り巻く環境の変化が、いかにして成功した企業を困難な状況へと追い込むのかということを、近年そのような変化が顕著に見られるコンピュータ業界を例にとってみてみたい。
かつてこの業界では、かのワトソンJrが率いるIBMが市場をほぼ完全に支配していた。1960〜70年代においては、コンピュータといえば大型汎用機のことであったが、IBMは1964年に発表したシステム/360の大成功により、一挙に大型汎用機市場を制圧した。コンピュータの製品の特性として、ハードウェアが異なるとそれまでのソフトウェアが動かなくなるので、顧客はソフト資産をIBMのハードウェアに蓄積すればするほど、ますますIBMから離れられなくなるという、IBMにとっては誠に都合の良い状況が生み出された。
このようなIBMの戦略に対し、弱小のライバルメーカーは、IBMのソフト資産を動かせるハードウェアを開発するという互換機戦略をとってきた。これに対してIBMは、顧客を汎用機本体から周辺機器まですべてIBM製品で丸抱えにし、互換機を振り落として、一度獲得したシェアを守りとおすという徹底した排他的戦略をとった。けれども、このようなIBM対弱小メーカーのシェア争奪戦はあくまで大型汎用機の枠内のことであった(3)。
しかしながら、1970年代に飛躍的に進歩した半導体技術は、マイクロ・プロセッサを生み出し、これにより一人一台のパーソナルコンピュータを出現させた。もっとも、このパーソナルコンピュータ以前に、すでにDECがミニコンピュータという新しいジャンルのコンピュータを登場させており、もはやコンピュータは大型汎用機には限られなくなってきていた。あらゆる情報処理業務を一台の大型汎用機でこなすという利用形態の他に、特定の業務をそれに特化した安価で小型のコンピュータで処理し、必要とあればそれらの小型コンピュータをネットワークで繋ぐという、コンピュータの新しい利用形態が徐々に広まってきたのである。けれども、このような新しい動きは、70年代や80年代の初めにはまだあまり顕著ではなかった。
けれども、1980年代に入り、この新しい動きにぴったりと合ったワークステーションという全く新しいジャンルのコンピュータが出現し、コンピュータの市場構造が急速に変化していった。新しい設計思想に基づいたRISCと呼ばれるCPUの為にワークステーショの価格性能比は、決して汎用機に見劣りしなくなり、高価な大型機野需要の伸びが鈍化し、逆にワークステーションやパーソナルコンピュータなどの小型機の需要が急速に伸びるダウンサイジングと呼ばれる現象が顕著になってきた。また、主要なワークステーションは皆UNIXと呼ばれるオペレーティング・システムを搭載しているが、これはハードウェアの違いにあまり左右されないため、顧客はこのUNIX上にソフト資産を築いていけば、いろいろはメーカーからハードウェアを選ぶことができる。また、ネットワーク技術の発達により、異機種間の接続も容易になってきた。このため、もはや蓄積されたソフトウェアの互換性の壁によってシェアを守り抜くという排他的な戦略は徐々に効力を失ってきた。こうなると、これまで一つのコンピュータメーカーに頼らざるをえなかった顧客は、メーカーに左右されずに自由に機種を選択できるようになり、もはや一つのコンピュータメーカーで顧客を丸が代えすることもできなくなってきた。

3.成功の逆襲
このような環境の変化に直面して、IBMを始めとする大型機メーカーは苦戦している。IBMの全世界のコンピュータ市場におけるシェアは、1985年の30%から1990年には21%にまで落ち込んでおり、他の汎用機メーカーも軒並み赤字を計上してしまっている。わずかに、ヒューレトパッカードやサンマイクロシステムズなどのワークステーションメーカーだけが、着実に売上げを伸ばしているだけである。
以上見てきたような市場構造の変化を完全に見誤ったために困難な状況に陥ってしまった企業もあるだろう。しかし、IBMに関していえば、IBMは決してこのような環境の変化を予想していなかったわけではなかった。ダウンサイジングを始めとする市場構造の様々な変化を予想していたが故に、これらに対応するためにこれまでいろいろな改革が試みられてきた。しかしながら、結果としてそれらの改革は後手にまわり、いまだに大型汎用機に依存する体質が残ってしまっている。
このように、分かっていても環境の変化への対応が遅れてしまうのは、ひとつにはIBMが三十万人を擁する大企業であるために小回りが効かないということが挙げられるだろう。けれども、かつて互換機メーカーが登場して来たときには、IBMは素早く対抗機種を出し、迅速にこれに対応することができた。その当時でもIBMは大企業であったが、なぜ今回は迅速な対応が出来ないでいるのか。
システム/360を発表した頃のIBMは、顧客の潜在的なニーズを的確に捉えることのできる、真にマーケット志向の企業であった。即ち、自らが置かれた環境と自らの企業としての力を知悉しており、その認識に基づいて企業組織を当時の大型機市場にもっともうまく適応するように変容させていった。この環境への適応に成功したIBMは、その結果異常ともいえるほどの大成功を収めたわけである。が、実はこのようにある特定の環境にあまりにも特化しすぎたことこそが、現在の新しい環境になかなか適応できないでいることの最大の原因である。あまりにも成功し過ぎたが故に、今になってその成功から逆襲を受けているのである。
かつての旧日本軍においても、適応し過ぎたために再適応に失敗したという現象が見られたという。日露戦争において、容易には勝てないと思われていた陸上戦闘と海上決戦に予想外の戦果を収めたために、この戦争での戦略、戦術がそのままその後の陸海軍の根本原理になってしまった。即ち、陸軍においては、白兵戦思想が、海軍においては艦隊決戦思想が戦略原型となり、大正、昭和の陸海軍はこの戦略原型を、効率的、合理的に極限にまで推し進める方向に発展していったのである。しかし、第一時世界大戦で登場した戦車や飛行機などの新型兵器や、総力戦などの新しい戦争形態は、第二次大戦が始まる頃までには戦略や戦術のスタイルを根本的に変えてしまっていた。しかるに日本軍は、第一次大戦以前の戦略原型のままで、新しい戦争に突入してしまったというわけである(4)。
IBMは、コンピュータといえば大型機しかなかった頃の市場で、レンタル制度や顧客教育制度などのシェアを確保し、利益を極大化するためのシステムを次々と整備し、この環境に最も適した無駄のない効率的な官僚機構をつくりあげていった。このためシステム/360は、ピーク時には82.7%のシェアを確保し、1968年には全米の製造業の平均利益率が12.1%の時に、実に19.1%もの利益率を誇っていたのである。
トーマス・クーンの言葉を借りれば、この当時のIBMは、次々と真理を発見して成功し続けている時期の通常科学(normal science)ということになろう。このIBMにとってのパラダイムは、大型汎用機であり、これの市場でシェアを確保し、利益を極大化するための数々の製品戦略やマーケット戦略は、このパラダイムのもとでのパズル解きにあたるといえる。互換機メーカーへの対抗機も、この大型機パラダイムにおけるパズル解きのひとつにほかならず、このために迅速な対応が可能だったのである。
しかしながら、成功している通常科学のもとでは、やがてくるパラダイム転換の予徴となるべきアノマリが等閑に付され続けるのと同様に、80年代初頭までのIBMにおいても、小型機の動きは認識はされてはいても、積極的な対応策はあまり講じられなかった。小型機市場のビジネススタイルは、大型機市場のそれとは、あまりにも異なっていたからである。利益率ひとつを取ってみても、小型機のそれは大型機とはくらべものにならないほど低いので、小型機で利益を上げようとすれば、営業マンが直接セールスを行なう大型機とは根本的に異なる薄利多売型のマーケティングを行なう必要があった。しかし、一度大型機の途方もない利益率を知ってしまったIBMにとっては、そのようなマーケティング戦略の転換は極めて困難なことであった。また、かつてはIBMのシェアを守る有力な手段であった顧客のソフト資産の継承可能性も、大型機とは全く異なる設計思想をもった小型機用のソフトウェアを開発するうえでは、逆に手枷足枷となってしまっている。技術者が革新的な研究開発を行なおうとしても、これまで顧客がIBMのシステムで蓄積してきた膨大なソフト資産を無視するわけにはいかないのである。行動とその成果の間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い新しい知識を獲得する自己変革が必要になるが、IBMの場合、過去の大成功や蓄積された資産のために身動きがとれなくなっているのである(5)。

4.内的不均衡の実現
企業をとりまく環境が不変であったならば、IBMは今でも順調に成長し続けていたであろう。けれども、環境が不断に変化し続けるということは、どの業界でも見られる自明の事実である。かくして、企業は生き物のように、変化する環境に適応しつつ生き抜いていかなければならない。生き残るためには現在の環境に適応しなければならないが、かといってここであまりにも適応し過ぎるとやがて来る新しい環境に適応できずに生き残れないかもしれないというジレンマがここに存する。はたして、このジレンマを企業はいかにして克服すればいいのだろうか?
ポパーはかつて、クーンの通常科学について、これの存在は認めつつも、科学の発展にとって危険な存在であると断じた(6)。彼にとっては、通常科学は科学の停滞を示すものだった。即ち、通常科学は独断主義の温床になってしまう可能性を秘めているのである。
この独断主義を過度に適応した企業組織の場面で翻訳してみると、それは悪しき意味での官僚主義にあたるだろう。官僚機構は環境とぴったり一致している時は、最も効率的な組織形態である。それは、個人の感情や恣意に左右されることなく、合理的な規則により形式的に組み立てられているからである(7)。しかし、一度この組織と環境の間に乖離が生じてくると、その安定性が逆に数々の弊害を生み出してしまうことは、すでに見た通りである。
したがって、環境の変化に柔軟に対応できる組織を実現するためには、組織の内部に、不安定、不均衡かつ緊張した状態を作り出しておかねばならない。これによってこそ環境の変化に迅速に対応できる自己変革が可能になるのであるが、環境の変化の時期が予想できないものである以上、このような緊張状態は常時実現されていなければならない。そしてこれは、現行のパラダイムの不断の批判的検討によってこそ可能になる。
ポパーの批判的方法は、科学的な真理を探求するための方法論であり、この背景には科学的知識に対する可謬論(Fallibilismus)がある。即ち、「科学的知識は常に仮説であり、推測の知識である。そして科学的認識の方法は、批判的方法である。真理と真理探究のために誤謬を探し、それを排除する方法である。」(8) 科学論における可謬論は、真理の絶対的確実性への訣別であるが(9)、企業組織においては、自らが最も安住できる安定した環境への訣別がそれにあたる。つまり、環境が不変ではありえないと認めることである。このことを認めた上で、やがて来る環境の変化に再適応しなければならないとすれば、既存の安定した組織形態を不断に批判的検討にさらしておかねばならない。
以上述べた企業組織の経営における批判的方法を科学的探究における批判的方法と並べると、以下の表のようになる。
科学的探究企業経営
前提科学的知識の可謬性企業環境の可変性
目的真理の探究企業の存続
方法現在の知識の
批判的検討による
誤りの排除
現在の組織の
批判的検討による
不均衡状態の実現

環境の変化をうまく乗りきった企業においては、多かれ少なかれこの批判的検討が実行されている。実は、現在市場の変化に悩まされているIBMも、1940〜50年代における事務機器市場の変化をこれによって乗りきっているのである。IBMはすでに1940年代においてライバルのレミントンランドのシェアを10%におさえてパンチカードシステムの市場に君臨していた。当時コンピュータの研究開発は着実に進んでいたが、ワトソンI世を始めとするIBMの首脳陣はこれの商業的な価値については極めて懐疑的であり、PCSに頼ろうとする保守的な雰囲気が大勢を占めていた。ところが、1951年にレミントンランドが連邦国勢調査局にUNIVACコンピュータを納入したことを知ったIBMは、コンピュータ市場に一挙に突入し、数年のうちに形勢を逆転してしまったのである。このようなことが可能だったのは、実はPCS市場に君臨していた時期に、ごく少数ではあったがワトソンJrらによってコンピュータの開発計画が進められていたからであった。ワトソンJrは、父の保守主義を批判し続けていたが、彼が社内に創りだした不均衡な緊張状態が結果的にIBMを没落の憂き目から救ったのである。

5.おわりに
批判的方法において最も大切な点は、これが環境の変化に受動的に対応していくための方法ではなくて、逆に既存の環境に能動的に働きかけて、自己と環境の双方を変革していく方法だという点である。環境の変化を知覚してから再適応の動きを起こすようでは遅い(10)。動的な再適応のためには、まずは来たるべき新しい環境について大胆な仮説を立て、それを実際の市場や開発現場でテストしていくという推測と反駁の方法が必要なのである。これが市場の創造といわれるものであるが、これについては、また別の機会に論じてみたい。


(1). Cf., B. Magee, Popper, Glasgow: Fontana, 1973, p.10.
(2). T. Watson Jr., A Business and Its Beliefs, New York: McGraw-Hill, 1963, pp.1f.
(3). IBMの歴史については、Cf., R. Sobel, IBM, Trman Tally Books, 1981, D. Mercer, IBM: Howe the World's Most Successful Corporation is Managed, London: Kogan Page, 1987などを参照。
(4). 戸部良一他、『失敗の本質−日本軍の組織論的研究−』、ダイヤモンド社、1984、第三章、および児島襄、「菊と刀の誤算」、『誤算の論理』、文芸春秋社、1987所収、pp.291-317参照。
(5). Cf., R. McKenna, Who's Afraid of Big Blue?, Addison-Wesley, 1989, part one.
(6). K. Popper, 'Replies to my Critics', in P. Shilpp (ed.), The Philosophy of Karl Popper, vol.II, La Salle, Ill: Open Court, 1974, p.1144.
(7). M. Weber, 'Die drei reinen Typen der legitimen Herrschaft', in Gesammelte Aufsaeze zur Wissenschaftslehre, Tuebingen: J.C.B.Mohr, 5 Aufl., 1982, S.476.
(8). K. Popper, 'Erkenntnis und Gestaltung der Wirklichkeit', in Auf der Suche nach einer besseren Welt, Muenchen: Piper, 1984, S.13.
(9). Vgl. H. Albert, Die Wissenschaft und die Fehlbarkeit der Vernunft, Tuebingen: J.C.B.Mohr, 1982, S.9.
(10). 吉田〓夫、「ハイテク産業における商品企画の特徴」、『1990年代の商品企画・開発とマーケティング』、日本ビジネスレポート、1990所収、p.154参照。