著作物一覧に戻る
著作権にかかわる合意事項:
このファイルをコピーしたり、印刷したりすると、あなたは著作権にかかわるつぎの事項に合意したことになります。
この著作物のファイルは、つぎの条件を満たすかぎり、コピーし、印刷し、保存し、また、第三者に提供するために電送、複製、印刷して構いません。
(1) 使用目的が研究および教育に限られ、それにより利潤の追求が行なわれないこと。
(2) 本サイトで提供するファイルの内容には、追加、削除、修正などによる変更を一切加えないこと。
(3) 引用は、コピーしたファイルからではなく、下記の出典から行なってください。
著者:
根岸毅(ねぎし・たけし)
慶應義塾大学名誉教授・政治学専攻
出典:
情報処理学会『情報処理』第26巻第11号、1985年11月、1434-1440ページ。
Copyright (C) 1985 by NEGISHI, Takeshi
「コンピュータによる解決が図られない問題」の問題点†
根岸 毅††
ある種の問題の解決,たとえば重症患者や身体障害者が自分の意思を的確に表現できない状態の改善には,技術的には可能であっても,実際にコンピュータが利用されることは少ない.この状況が生じる原因は,コンピュータの道具としての特徴と,コンピュータ関連商品を供給する社会制度の特徴の双方にある.この種のコンピュータの利便をあえて社会的に提供するためには,ソフトウェア,ハードウェアの両面にわたって,通常の商品生産とは異なる配慮が必要になる.また,でき上がったシステムの流通を市場に依存することは望み薄であり,別の新たな社会制度を開発することが必要となる.(本稿は,実例に基づく提案を含んでいる.)
†Prob1ems of メProblems Not Being Tackled with Computersモ by NEGlSHI, Takeshi(Faculty of Law, Keio University; Political Science). 本稿は昭和59年6月19日の情報システム研究会での報告資料に若干の訂正を加えたものである.
††慶應義塾大学法学部(政治学専攻)
1. まえがき
「情報システムと個人,組織および社会との相互の影響の問題点を把握し,その対策を研究する」【1】ということがいわれるとき,ふつう私たちの頭に浮かぶのは,ある目的のためのコンピュータの利用が現になされていたり,それが目論まれている状況での問題点とその研究である.しかし,コンピュータと人間の関わりでもっとも深刻な問題は,この両者間の関わりそのものの欠如,すなわち,それが技術的には可能であるにもかかわらず,ある種の目的の達成(問題の解決)のためにはコンピュータの利用がなされないことである.
この問題の根は,じつは,コンピュータ・システムだけを視野に入れての議論では解明できない.その解明のためには,コンピュータが置かれている社会制度のあり方にメスを入れる必要がある.また,この問題はコンピュータの側からの発想だけでは解明できない.そのためには,コンピュータの活用によって達成されるべき目的の側からの発想が必要となる.
技術的には可能であるにもかかわらず,その問題の解決のためにコンピュータの活用がほとんどなされていない分野の例として,ある種の重症患者のための意思疎通の補助手段としての利用があげられる.たとえば,筋萎縮性側索硬化症【2】という病気にかかると,頭脳の働きは正常であるにもかかわらず,運動能力が衰えるため,患者は発声も筆談もできなくなり,自分の意思を的確に表現することがほとんどできなくなる.このような状況は脳溢血などの後遺症でも現われる.患者の苦痛は,たんに医師や看護婦に対して症状の的確かつ迅速な伝達ができないことに止まらず,家族との対話が失われたり,自己表現ができないことから思考力そのものが減退することにまで及ぶようである.患者の家族にとって耐えがたいのは,患者の苦しみが理解できず,それに適切な対応をしてやれないことである.
このような苦境に対して,コンピュータの利用は劇的な解決をもたらす可能性をもっている.呼吸や,指先・肩・唇・顎・まぶた・眼球などの僅かな動きを信号としてコンピュータに伝え,CRTの上で文章を書き,訂正・加筆・削除をし,それを後で読み出すために記憶し,プリンタに打ち出させる.これだけのことが重症患者とその家族にとってどのくらい大きな福音であるかは,まだ数は少ないがいくつかの実例を見れば明らかである.
兵庫県リハビリテーション・センターの調べ(昭和59年4月現在)によれば,市販のハードウェアで構成できる,現在入手可能な意思疎通の補助手段のソフトウェアは七つある.【3】これらのすべてに共通の特徴は,それらが無償で提供されている点である.また,ソフトウェアを流通させているのは,一つを除きすべてソフトウェアの開発者自体である.さらに,患者がコンピュータを操作する方法は,ジョイスティック,呼気スイッチ,小形軽量のハンドヘルド・コンピュータのキーボードを使うなど,入力機器に工夫が凝らされている.
このように,コンピュータの進歩は,すでに個人の日常生活の場にまで大きな利便をもたらしうるようになっている.ところが,この例のように,コンピュータ利用の利便が使い手にとってどんなに有用で必要度が高くても,そのためのハードウェア,ソフトウェアが実際に供給され,活用されるとは限らないのも事実である.この点こそ本稿が取り上げようとする問題である.本稿はその原因を分析し,その克服のためのひとつの方法を示そうとするものである.【4】
【1】情報処理学会:情報システム研究会発足のお知らせ(1984).
【2】参照,厚生省特定疾患難病の治療・看護調査研究班:患者と家族のためのしおり 12 筋萎縮性側索硬化症,日本出版サービス(1982).
【3】参照,兵庫県リハビリテーションセンター:現在入手可能なコミュニケーションエイド・ソフト(市販のハードウェアで構成できるシステム).
【4】私はコンピュータの専門家ではないので,本稿の議論がパソコンのみを念頭においてなされていることをお断わりしておく.
2. コンピュータの使われ方
では,現在コンピュータが置かれている社会的環境にあっては,どういう問題が「コンピュータによる解決」の対象になり,どういう問題はその対象にならないのであろうか.この境目は,コンピュータそのものの特徴およびコンピュータが置かれている社会制度の特徴の双方から生まれていると考えられる.
2. 1 コンピュータの道具としての特徴
コンピュータの道具としての特徴は,汎用であること,すなわち広くさまざまな分野で問題解決のために利用される可能性をもっているところにある.しかし,汎用だということは,利用の実例を知らない場合には,一見してどんな問題をどう解決することができるかが具体的には分かりにくいことにつながる.実例を知らないところでの利用には,それを自在に活用するための知識が必要となる.
ところが,コンピュータを活用するための知識は,それが開発されてから日が浅いこととその修得が容易でないことから,いまだに一部の人(コンピュータを使える人)のものであり,一般化してはいない.そこで,この知識を持たない一般の人びと(コンピュータのシロウト)には,「コンピュータでなにができ,なにができないか」自体が的確には分からないということになる.その結果,シロウトはおうおうにして,コンピュータに対して過大の期待をもつか,過小評価をするようになる.コンピュータ信仰と,コンピュータに対する毛嫌い・無関心がそれである.
この無知はシロウトに不幸な状態をもたらしている.シロウトは,コンピュータで対処すれば良い成果が見込める問題・必要に対してコンピュータを活用することに思いつきさえしないことが多い.それに思いつきさえしないのだから,コンピュータを使える人に,その必要が存在することを意識して伝えることが少ない.
この点は自動車の場合を考え合わせてみると良く分かる.自動車という仕組みの行う仕事はおおよそ物の運搬に限られ,また,そのことはよく知られている.そこで,自動車の専門家でなくとも,義手の人に使える車を作ったら便利だろうと具体的に考えることができるし,そういう注文は自動車メーカーに伝わりやすい.しかし,コンピュータを重症患者の意思伝達の手段にしてみようという類の声は,そうかんたんにはコンピュータの専門家に伝わらないようである.
この事情から,コンピュータの実際の用途は,コンピュータを使える人がみずから見つけ出したり,シロウトからたまたま伝わって知ることとなった必要の範囲に限られることが多くなる.これはいいかえれば,シロウトが切実に事態改善の必要を感じており,実際にコンピュータで対処可能な問題でも,それがコンピュータを使える人に知られない限り,現実にコンピュータで対処されることはない,ということである.ところで,コンピュータを使える人の多くは若く活力に溢れる健常者である.彼らの日常生活には馴染みのない問題,たとえば重症患者や身体障害者などが直面している必要は,コンピュータを使える人に情報として伝わりにくく,その種の必要がコンピュータで対処されることは少なくなるのが現状である.
2. 2 ハードウェア,ソフトウェア供給の現行社会制度の特徴
以上の状況は,コンピュータ関連の財とサービスが供給されている社会制度の特徴によっていっそうはっきりしてくる.
現行の供給の仕組みは「市場」と呼ばれる.つまり,現在,コンピュータのハードウェアとソフトウェアは「商品」として,利潤の追求を動機として生産され,流通が計られている.この仕組みは,基本的には,非常に大きな利点をもっている.それは,そこでは多種多様な商品が,より安く,よりよい品質で供給され,その普及がより速くなる,という点である.たとえば,いわゆるパソコンがこの5年程の間にこれほど多様化・低価格化・高性能化・一般化したのは,まさに市場生産のおかげである.
ところが,物事にはすべて裏がある.市場にはつぎの難点があることも指摘しなければならない.つまり,市場では利潤の見込めない財やサービスは供給されない.供給されないものには,とうぜん,市場がもつ利点を享受することも望めない.
一般的にいって,市場で供給されるハードウェア,ソフトウェアには,つぎの特徴が生まれる.それらはすべて,供給する側の動機が利潤の追求であるところから発していると考えることができる.
(a)利潤が見込めるハードウェアやソフトウェアは供給される反面,
利潤が見込めないものは供給されない
原則として,市場には,商品を供給する側に,その供給の費用を上回る収益を与えてくれるものしか登場しない.パソコン関連では,テレビ・ゲームやOA用のソフトウェアが多数出回っているのは,その供給に大きな利益が見込めるからである.
利益が見込める商品とは,その供給の費用を上回る価格を設定しても買手がつくもののことである.その商品が別の商品の生産に用いられる場合には,買手は,その商品の価格が別の商品を供給する結果見込まれる収益と比較して十分に小さければ,その商品の価格が絶対値としてはかなり高価であっても購入することになる.したがって,この場合は高価な単品生産が行われる可能性も大きい(たとえばOA機器).その商品が別の商品の生産に用いられずそのまま消費される場合には,買手は,その商品の価格を,その商品の使用から得られる利便の大きさや手元の資金の高と比較して,その購入の可否を決めることになる.したがって,この場合には高価な単品生産が行われることは少なく,多くは価格を安く設定し,供給の個数を大きくすることで利潤をあげることになる(たとえばテレビ・ゲームのソフトウェア).
重症患者や身体障害者などの必要を満たす財やサービスは,この後者の場合にあたる.ところが,一般にその販路は限られており,それは商品としては供給されないか,供給されたとしても高価であり,市場の利点の恩恵を十分には望めないことになる.
(b)大量生産・大量販売をめざすため モA Typica1 Personモ(ATP)を
想定してのハードウェア,ソフトウェア作りが行われる
商品の供給者は,買い手との上記のような関係の外に,同一商品の他の供給者との競争関係がある場合には,その商品の供給に要する費用を相対的に引き下げることで,自分の商品の価格の競争力を高める努力をする.その手段の一つが大量生産・大量販売である.
大量に生産をし,大量に販売するためには,商品の規格化が必要になる.そこでは,商品作りの対象として モA Typical Personモ(ATP)を想定する必要がある.ATPは実在の人物である必要はない.なるべく多数の人が,なるべく少しの労力でそこまで歩み寄ることができるような「抽象的な平均人」がそれである.
最近はコンピュータの使い勝手の改善が強調され,「コンピュータが人間に近づいた」といわれる.この場合の人間は,あくまで抽象的な平均人(ATP)である.それぞれ事情の異なる個々の具体的な人間は,まだかなりの程度ATPまで歩み寄らなければならない状態にある.もっとも,市場の利点の恩恵を受けるためには,ある程度の歩み寄り――たとえぱJlS配列のキーボードに馴れる――はいたし方ない.今日の商品としてのハードウェア,ソフトウェアのヒューマン・インタフェースの側面は,一般的に,以上を基本の設計思想にしているといって良いだろう.
ところで,この設計思想の下では,重症患者や身体障害者の必要のように,個別性が強く一般化しにくい必要は,商品作りの対象としては切り捨てられやすい.それでは,この人たちがATPに容易に歩み寄ることができるかというと,それは身体的条件によって不可能なことが多い.
(c)商品の独自性(ユニークネス)の確保のため,ソフトウェア,
ファームウェアは非公開とされることが多く,そのコピーは禁止される
より大きな利潤は,類似の,競合する商品の供給者が市場に現れないときに得られる.つまり,市場では同一商品の独占的な供給者であることが望ましい.このため,商品の生産が知識・技術に依存するところが大きければ大きいほど,その知識・技術が競争相手に知られないことに価値が出てくる.コンピュータ関連商品は,まさにこの種の財であり,サービスである.
このため,使い手が自分の必要に合わせてプログラムを書き換えるのに必要な情報は,かんたんには入手できない.結果として,プログラムの書き換えはたいへん難しいか不可能になる.さらに,プログラムは,供給者と使い手の一対一の関係で手渡され,供給者の同意なしに第三者に手渡してはならないとされるのがふつうである.
この制約は,個別性が強く一般化がしにくい必要をもつ重症患者や身体障害者の困難をいっそう大きなものとする.彼らは自分の必要に合わせるために,ATPを想定して作られた商品を作り直すこともできないことになる.
以上に述べたように,コンピュータのハードウェア,ソフトウェアが現在供給されている現行の社会制度(市場)では,使い手(消費者)の利益は,供給者(生産者)の利潤追求の動機が満たされる限りで増進される.いいかえると,前者の利益は,後者の利益を増進する活動の結果としてのみ増進されるのである.そこには,後者の利益と合致しないために切り捨てられたり,軽視されたりする使い手の利益があることを忘れてはならない.重症患者や身体障害者の必要の多くはその例である.【1】
【1】本節て論じたことは市場生産の一般的な特徴であって,コンピュータ関連商品のみがかかわることではない.
3. 使い手の利益の側からのシステム作り
それでは,以上の条件を備えてしまったがために,技術的には可能であるにもかかわらず,現状では供給されにくいコンピュータの利便を供給するのには,なにをなすべきであろうか.
3. 1 ある福祉プログラムでの経験
1982年夏,私はパソコンによる重症患者の意思表示システムを開発した.これは,私の家族の一人が前記の希少難病に冒されたからであった.前述の,現在入手可能な,市販のハードウェアで構成できる意思疎通の補助手段のソフトウェアの一つはこれであり,それが走るハードウェアのメーカーの流通経路を通じて,「テレビ伝言板」という名称で全国の重症患者に無償提供されている.
このソフトウェアを開発し,流通させる試みには,現在コンピュータが置かれている社会的環境の下では供給されにくい「テレビ伝言板」の類のプログラム――以下それを「福祉プログラム」と呼ぶ――をあえて供給しようとするものにとっての,いくつかの示唆が含まれている.
この病に冒された患者との会話の難しさは,この病気の介護の専門家も一般向けの小冊子の中で指摘している.【1】そこにも紹介されているように,一般的には,厚紙に五十音表を書き,患者が文字を一字一字指さしすることで,かろうじて意思の疎通が行われる.しかし,この困難を克服するためにパソコンを利用してみようという考えは,ふつう思いつかれることもない.もし私の家族にコンピュータについての知識がまったくなかったならば,つまり必要と知識の出会いがなかったならば,ふつうの患者の場合と同じに,パソコンによる意思疎通の補助手段を作ろうとは考えなかったと思われる.
後に「テレビ伝言板」を使った患者の家族から聞いた話では,その家族はパソコンの利用を考え,コンピュータの専門店に問い合わせたが,開発費の見積もりがあまりにも高額であったので断念していた,とのことであった.私の家族の場合,ソフトウェアの開発を自分の家族の中で行え,開発費を目に見える支出として計上する必要がなかったことが「テレビ伝言板」が日の目を見ることにつながったということができる.
実際のシステム作りには,動かすことのできない前提が二つあった.それは,患者の身体的条件からコンピュータヘの入力の仕方に大幅な制約があったこと,市販の機器の範囲内でハードウェアを選定しなければならなかったこと,であった.結局,使用するハードウェアは富士通のFM-8を中心とするものになった.そのおもな理由は,患者でも容易に操作できる入力機器(ジョイスティック)がつくこと,コンピュータにまったくのシロウトの家族や介護人にもたやすく起動でき,手狭な病室で場所を取らないバブル・カセットが使えること,漢字非漢字ROMを使えば文字表示が大きくなり,患者の目を疲れさせないですむこと,ジョイスティックによる画面操作の自由度が高いANPORT関数がBASICに組み込まれていること,ハードウェアの市販価格が比較的安いこと,などであった.選定の基準は,いかにして患者の操作上の負担,経済的負担を小さくするかにあった.
プログラムの原型は,患者の状態を見て私が必要だと感じていた主要な機能を組み込んだものとなった.しかし,患者自身にも,はじめから自分になにが必要なのかはっきりと分かってはいなかった.それはシステムを使ってみてはじめてはっきりしてくる.コンピュータを操作する上での身体的制約も,実際に使ってみないとよくは分からない.このため,プログラムの試作,患者の試用と注文付け,プログラムの書き直しがなん回となく必要だった.【2】
患者の意向もあり,原型に近い段階から,このシステムを同病の人たちに提供することを前提としてプログラム作りが行われた.このために配慮した点が二つある.第一は,患者の個別の必要に合わせるために,開発者以外の人にプログラムの部分的書き直しがしやすいようにする工夫,第二は,コンピュータに一度も触れたことのない介護人にも分かるような使用説明書作りである.
ソフトウェアが完成し,使い始めたあと,どうやって同病の人たちに手渡すかということが問題になった.これは,じつは,福祉プログラムに限らず,市場によらずしてまたは市場に出せずして福祉関係の機器を広く社会一般に提供しようとする人たちが直面する最大の悩みのようである.いかにしてソフトウェアの存在を人々に知らせるか,それをいかにして手渡すか,システム導入時の手引きや使用開始後の手当てはどうするのか.これらはすべて,社会制度作りとそのための資金の問題と関わってくる.
【1】参照,厚生省特定疾患難病の治療・看護調査研究斑:患者と家族のためのしおり12筋萎縮性側索硬化症,日本出版サービス,pp. 28-30(1982).
【2】最終版はversion Nである.
3. 2 使い手の側に立ったコンピュータ・システムの作製
市場を通して行われている,供給側の利益増進を主眼とするやり方と比べると,使い手の側に立ったコンピュータ・システム作りはつぎの点で違ってくる.
(a)ハードウェア,ソフトウェアの個別性
重症患者や身体障害者の必要には個別性が強い.したがって,システムを作る側で勝手にATPを想定して開発を始めても,でき上がったものが使えないことが多い.そこで,ソフトウェアの作成,ハードウェアの選定にあたっては,使い手(患者とその家族)との話し合いを通常の場合以上に重視する必要がある.
一般にシロウトには,「コンピュータでできること,できないこと」がよく分かってはいない.そこで,使い手との話し合いを重ね,使い手に「患者の必要でコンピュータで対処できるものはなにか」をみずから発見させる必要がある.プログラムに組み込む機能は,この作業のなかで決める必要がある.また,じゅうぶんな話し合いをした場合でも,使い手の必要は,じつは使ってみないとよくは分からない.したがって,使い手に実際使ってもらい,そのうえでの注文に応じて根気よく書き直しを重ねることが不可欠となる.この意味で福祉プログラムは,大学生などのアマチュアの独壇場のように思われる.
ハードウェアの選定も,使い手との話し合いやプログラムの試用の中で,使い手に「患者に可能な操作はなにか」を発見させ,その結果に基づいて,使い手の必要の個別性に合わせるように行うことが大切である.重症患者や身体障害者の場合,健常者と違い,自分の意思を信号としてコンピュータに伝えることに大きな制約がある.通常の入力機器が使えることの方が少ないと考えた方がよい.したがって,新しいハードウェアの開発も必要になる.【1】
【1】「テレビ伝言板」の入力の仕方(ジョイスティックの操作)では,盲目の人,手の動かない人,手が動いてもけいれんがある人には使用不可能である.全身不随者のための顎の動きによる入力のシステムについては,参照,読売新間(1984年5月28日夕刊14面).また,眼球とまぶたしか動かなくなった場合の入力機器として有用だと考えられる超小形アイマーク装置については,参照,読売新聞(1983年4月7日朝刊6面).
(b)プログラムの書き方
重症患者や身体障害者の必要に個別性が強いことを考えると,一人一人の使い手の条件に合わせるためのプログラムの徴調整は不可欠である.
そのためには,まず,プログラムは開発者以外の人でも手直ししやすいように書く,というのが基本になる.この前提として,プログラムは公開されなければならない.【1】また,開発者以外の人によるプログラムの書き直しが認められる必要がある.【2】さらに,他人に解読がしやすいようにするつぎのような配慮が必要となる.マルチ・ステイトメントばなるべく避ける.コマンド・文・関数の間のスペースはなるべく省略しない.FOR-NEXTループに挟まれた各行はインデントする.変数ははじめて現れる行でその意味についての注釈のREM文を付ける.プログラムの各部分にはそこで実行する仕事の内容が分かるようREM文を付ける.DATA文の前後にデータの書き方をREM文で入れる,など.このような配慮によって実行速度は遅くなり,使用するメモリの量は大きくなる.しかし,大切なのは使い手の必要を満たし,使いやすいシステムを作ることである.
プログラムの微調整は,システムの操作性に関わるものが多くなるであろう.この操作性は変数に代入する値を変えることで調整できるようにする,というのは一つの考え方である.このためのLET文は,プログラムの初めの方の一カ所にまとめるとよい.「テレビ伝言板」では,画面の色調,ジョイスティック操作のタイミング,バブル・カセット上の記録のさせ方がこれにあたる.その書き換え方もREM文でプログラム中に説明してあると便利である.
【1】「テレビ伝言板」のプログラム・リストは,根岸毅:パソコンを病人の手に,bit, Vol. 15, No. 11, pp. 56-65 (1983) に公開してある.
【2】「テレビ伝言板」使用説明書の「はじめに」には,ソフトウェアの無償提供と公開を前提として,プログラムと使用説明書の書き換え,コピー,第三者への手渡しの自由が明記されている.
(c)使用説明書の作り方
使用説明書は,まったくのシロウトにも分かるように作る,というのが基本である.シロウトには,コンピュータを使える人の常識が常識ではないことを銘記する必要がある.たとえば,ディスプレイの画面上では,ゼロが「右上から左下に斜線の入った0」で表示されることがあると書いておく必要がある.また,プログラムの書き換えに必要な情報は,ここに明示されなければならない.
3. 3 使い手の立場からの社会制度の開発
かりに福祉プログラムが前節で論じた形ででき上がったとしても,それを社会的に広く流通させるには,まだほかにすべきことがある.それは,市場を通じては供給されにくい財やサービスを,利潤以外の動機づけで供給しようという社会制度の開発である.
今日の一般的な風潮としては,市場を通じては供給されにくい財やサービスは政府にその供給を求めることが多い.しかしこの方法では,供給される財やサービスの「必要度」とそれを供給するに要する「費用」の間での比較考量――たとえば「この程度にしか必要でないものの供給にこんなに費用がかかるのならそれは無しで済ませよう」といった判断――がなされにくく,必要なものが満足に供給されなかったり,そのような財やサービスの供給という美名の下に私的利益を肥やす人が増える結果,社会全体としてはたいへん高いものにつく場合が多い.したがって,他にまったく手立てが考えられない場合を除き,このような財とサービスの供給を政府に求めるのは得策ではない.【1】
市場にも頼らず,政府も通さずということになると,新しい社会制度は,人の,無償の行為に対して社会的評価を受けたいという気持ちに訴えることになる.具体的には,福祉プログラムの供給に協力した個人,団体の名を可能な限り公表して,その面目を施させるのである.ただし,この新たな社会制度は利潤追求の動機を排除するものではない.間接的に利潤を求めての協力,たとえばPR活動の一環としての協力も,その効果が福祉プログラムの供給の利益になれば評価すべきである.
この社会制度が動き出すきっかけになることを願い,私たちは二つの組織を作り,つぎの仕事に当たらせることにした.その組織とは,「パソコンによる福祉プログラムの会」と「パソコンによる難病者救済のための基金」である.
福祉プログラムが書かれるためには,福祉の必要とコンピュータを使える頭脳の出会いがなくてはならない.この出会いの場の提供は「会」の仕事である.最近,私の大学(慶應義塾)の理工学部の有志学生が集まり,「テレビ伝言板」をMSX規格のパソコンに移し換える作業を始めた.また,彼らとたとえば全国難病団体連絡協議会の人たちとの会合も計画されている.さらに,本稿自体この趣旨をもっており,読者の中から福祉プログラムを書こうという人が出てくることが期待される.【2】
書かれたソフトウェアは,開発者の手から離れ,管理・流通が図られる必要がある.その仕事の中心になるのも「会」である.開発者は著作権を留保しながら,その流通をいっさい会に委ね,ソフトウェアを会に寄託する.現在会が管理しているソフトウェアは,まだFM-8で走る「テレビ伝言板」だけである.そこで会は,ソフトウェアの管理や流通,ソフトウェアを走らせる機器についての相談などの実務を富士通に委託しており,富士通はそれを無償で提供してくれている.富士通はまた,富士通製パソコンで走る他の福祉プログラムについても,将来同様の業務の代行を約束してくれている.会は,将来他のメーカーのパソコンで走る福祉プログラムの寄託を受けた場合には,そのメーカーにも富士通同様の協力をお願いしたいと考えている.
会を通じて供給されるソフトウェアは無償であり,無条件である.無条件というのは,ソフトウェアの無償提供と公開を前提として,プログラムの書き換えの自由,プログラムと使用説明書のコピーおよびその第三者への手渡しの自由があるということである.【3】これは会の基本的な考えであり,それが福祉プログラムの趣旨によりよく合致するものと考えられるからである.
会の仕事にはまた,重症患者や身体障害者の身体的条件に合ったハードウェアの必要をメーカーや大学・研究所に伝え,その開発を促したり,福祉プログラムの供給が容易になるような政府施策を求めての働きかけを行うことなども含まれることになろう.
「テレビ伝言板」の場合,最少限必要なハードウェアの価格(秋葉原1983年2月現在)は約34万円となる.この高は,医療そのものへの出費に悩む重症患者の家族にとってけっして楽な額ではない.また,患者によってはシステムの使用可能な期間が数か月の場合も多い.そこで望ましいのは,ハードウェアはリースによって調達する方法である.この借用料の肩代わりができれば,福祉プログラムの利用は重症患者や身体障害者にとってはまったくの無料となる.この借用料の肩代わりをしようというのが「基金」である.【4】現在その規模はささやかであるが,同趣旨の基金が全国的にいくつも生まれ,公益信託にまで育つことが期待される.
【1】以下に構想した社会制度では,ソフトウェアを開発する能力の提供,ソフトウェアの管理・流通とハードウェアの借り出しを支える資金の供与などは,その行為によって実現される社会的価値の大きさに比例した社会的評価を受けることになろう.したがって,その能力の提供と資金の供与,またその結果としての財やサービスの供給は,その必要度にほぼ見合った形でなされる可能性がある.しかし,その反面,この社会制度を成立させ,動かして行くには「あなた(政府)任せ」の気楽さは望めず,多数の人びとの意識的な努力が必要となる.
【2】同趣旨の試みはほかにもある.根岸毅:パソコンを病人の手に,慶應義塾大学報,No. 140, p. 8 (1983), 根岸毅:パソコンを病人の手に,bit, Vol. 15, No. 11, pp. 56-65 (1983), 声を出せない重病人がマイコンで“言葉”を回復,POPCOM, Vol. 1, No. 5, pp. 120-123 (1983).情報処理学会(1983年)夏のシンポジウム「コンピュータにおけるヒューマン・インタフェース」での私の報告――根岸毅:重症患者とのコミュニケイションにおけるマイクロコンピュータの活用,コンピュータにおけるヒューマン・インタフェースシンポジウム報告集,pp. 118-126, 情報処理学会プログラミング・シンポジウム委員会,東京(1983).
【3】参照,「テレビ伝言板」使用説明書「はじめに」.
【4】この基金は千葉中央ライオンズクラブが管理している.
4. むすび
財とサービスの供給が基本的には市場を通じて行われる社会に,以上に述べた社会制度を作り,それによって福祉プログラムの供給を図ろうとするのはなまやさしい試みではない.しかし,高齢化社会が着実に近付いている今日,私自身が福祉プログラムを必要とする確率もまた着実に高まっている.本稿で私が提言したことは私自身に対する一種の保険なのかも知れない.
(昭和60年7月1日受付)
Copyright (C) 1985 by NEGISHI, Takeshi
著作物一覧に戻る
《「『コンピュータによる解決が図られない問題』の問題点」終わり》