North American Free Trade Agreement

_アメリカのめざすグローバリゼーションとは_

4年 金山千江子

序章 

一 NAFTA交渉に至るまでの経緯

(一)NAFTA交渉前の米墨加の関係

1項:米加自由貿易協定

2項:米墨自由貿易協定

(ニ)NAFTA成立

ニ 米州自由貿易圏構想

(一)アメリカの通商政策の変化と意義

(ニ)NAFTAの政治的影響

(三)米州自由貿易圏構想

(四)NAFTA批准をめぐって

三 NAFTA拡大へ

(一)メルコスルとは

(ニ)NAFTAとメルコスル

(三)米州首脳会議

終章 

序章

NAFTA(北米自由貿易協定:North American Free Trade Agreement)は1994年に発行された、アメリカ・カナダ・メキシコという、先進国と途上国との初めての自由貿易協定であり、地域経済統合の一つである。この意味で、前例がなく、画期的であるが、貿易上の障壁(関税など)が撤廃されても、協定国内でどのような基準をどの程度まで決定していくかという協議の難しさや実際に行動する難しさが露呈した協定でもある。また、アメリカ・カナダという先進国とメキシコという発展途上国間における地域経済統合の深刻な問題も多く発生している。例えば、1991年のメキシコの一人あたりのGNP(国民総生産)は、カナダ・アメリカの10分の1強に過ぎなかった。このことは、賃金格差が引き起こす労働問題や、環境規制の緩さから生じる環境問題に通じている。NAFTAをめぐっては、アメリカ国内で、党派を超えて是非が分かれており、議会と大統領の間でも意見の違いが明らかになっている。

本論文では、NAFTA成立の内容を追い、それによって、NAFTA成立当初からアメリカが考えていた、さらなるNAFTAの拡大について分析していきたい。ここでいうNAFTAの拡大とは、後に詳しく述べるが、米州自由貿易圏構想(EAIEnterprise for Americas Initiative)と、米州自由貿易圏(FTAAFree Trade Area of the Americas)のことを意味し、副題にある「グローバリゼーション」のことを意味することにする。現在、FTAAはブッシュ大統領のもと、話し合いが進められているが、本論文を読むことによって、FTAA交渉に至るまでの経緯とアメリカのねらいがわかればいいと思う。

先行研究の一つとしてA.R. Riggs and Tom Velk The Fraser Institute, 1993Beyond NAFTAが挙げられる。ここではNAFTAに関する問題が一つ一つの項目ごとに述べてられている。ここで著者は、「自由貿易協定については様々な意見があり、賛否両論だが、結局我々は自由貿易協定の恩恵を受けている時代に生きている」と述べ、「それは地域的に限定されたものではなく、世界的な関税のレベルが広範囲にわたって下げられている状態である」と述べている。そして、「NAFTAは自由貿易圏の発展の次段階を表しているが、NAFTAがすべての考えられる商業上、契約上の、各国にとっての最善である、と考えるべきではないし、貿易関係にとっての最善の状態であると捉えるべきでもなければ、すべての国々の市場に対して、より開けた手段と開放性を持つという『結果』以上のものとして考えるべきでもない」と著している。さらに、「最も重要なのは、地域待遇の制度から続く貿易の転換を生み出す地域協定であるということである」と述べている。これに対して私は、NAFTAは経済的なメリットだけで成立したわけではなく、成立当時のアメリカの政治的背景やNAFTAの政治的観点に欠けているのではないかと考える。

ジョン・グレイ『グローバリズムという妄想』(日本経済新聞社,1999年)では、「アメリカ型モデルを拒絶した国々の優れた経済成長、貯蓄率、教育水準、家族の安定の証拠は、大多数のアメリカ人によってどこまでも押さえつけられ、否定され、無視される。これらの証拠を認めることは、アメリカの自由市場の社会的コストに向かい合うことなのであり、自由市場の生産性は桁外れに大きいが、その人的コストも同じように大きい」と述べている。また、「自由市場と社会的安定は互いに相容れない」とも述べている。確かに、アメリカはNAFTAを通して、加盟国が繁栄し、アメリカ的な自由や平等という価値が世界に広がることを期待してはいるが、労働状況や環境などの人的コストを無視しているわけではないのではないかと私は考える。自由市場によって発生する社会問題については、政府が積極的に対処しているところがある。また、アメリカ型の資本主義経済体制が悪であるかのように述べてあるが、メキシコのようにそれをとり入れることによって民主化が図られたりしているので、他の国に対してプラスの影響もあると考えられる。

本論文のオリジナリティは、NAFTAが成立する以前から、アメリカがNAFTAの将来的な拡大を企図しており、それがFTAAという一大地域貿易圏に発展している現状を捉えている点にある。そして、主にアメリカの視点からみて、NAFTAが経済的な面だけでなく、政治的、イデオロギー的な役割をも、持っているのではないかと考える点にもある。FTAAについてはまだあまり論文がなく、FTAAに至るまでのまとまった論文がないというところに本論文の存在価値があると思う。

一 NAFTA交渉に至るまでの経緯

  NAFTAが成立する以前には、アメリカ・カナダ間で結ばれた米加自由貿易協定とアメリカ・メキシコ間で結ばれた米墨自由貿易協定が存在している。これら3カ国はどのような事情で各協定を締結し、どのような目的をもってNAFTA交渉に臨んだのかを以下に述べる。

(一)NAFTA交渉前の米墨加の関係

第一項 米加自由貿易協定

NAFTA交渉にさきがけて19853月、カナダのマルルーニ首相とアメリカのレーガン大統領との間で米加自由貿易協定の締結が合意された。両国の共通するメリットとしては、自由貿易地域を形成することにより、関税および輸入制限の廃止等を通じて物価水準を低下させ、国際分業の促進による大規模の経済的利益を実現し、競争の促進によって生産性を向上させることが、アメリカとカナダ両国にとって等しく期待できることにある。しかし、両国のねらいには以下のような違いがみられる。

まず、カナダのねらいは、アメリカへの輸出に対するカナダ経済の高い依存度を反映して、協定によってアメリカ市場へのアクセスを保証し、カナダの経済基盤を拡大・強化し、大規模な経済の実現による生産性と競争力の向上を図ることであった。また、効果ある貿易紛争処理メカニズムの設置も期待するところであった。それに対して、アメリカの目的は主に、サービスと投資を規律する新しいルールづくりに焦点を当てるものであった。このような新たなルールが、GATT協定のための基礎部分として機能するとともに、カナダが過去の国家干渉による投資政策へ逆戻りすることを防ぐことに期待した。また、カナダが実施している特定の製品における高関税の解消とカナダ産自動車に対する税免除のような非関税障壁の除去も、アメリカ産業にとって重要であった。カナダにとっては主に経済的理由が強く、実際、アメリカという巨大市場へのアクセスが保証されることによるカナダ経済のメリットが大きいといえるが、アメリカにとっては、経済的理由も少なくないにしてもNAFTAをさらなるFTA構想の前身としてとらえていると考えることができる。

第二項 米墨自由貿易協定

19906月、メキシコのサリナス大統領がアメリカとの自由貿易協定を提唱し、アメリカはただちにその呼びかけに応じた。メキシコが北米市場を望んだ理由として二つ挙げられる。一つは、1990年時点で、メキシコの総輸入の3/4がアメリカからのものであり、メキシコの総輸出の3/4がアメリカ市場へ向けられており、このアメリカ向けの輸出はメキシコ国内総生産(GDP)の約13%に相当していたことである。したがって、アメリカとの自由貿易協定の締結は、アメリカ市場におけるメキシコ側の輸出の機会を増加させ、アメリカ市場へのアクセスを確実にするものと期待された。二つ目は、1982年以降の市場原理に基づく経済政策への転換が、メキシコの輸出の中心をそれまでの世界市場に向けられた石油から工業製品にシフトさせたことである。工業製品の輸出は、1982年の14%から89年には55%に達した上に、それらの製品の輸出の85%がアメリカに向けられていた。この輸出構成のシフトはメキシコ貿易のアメリカ市場への依存度を増大させた。それまで、アメリカの貿易保護主義はメキシコの工業製品の輸出に注意を払っていなかった。しかし、メキシコの非石油製品のアメリカへの持続的輸出によってアメリカにおいて新たな貿易管理を行う圧力が増大することが予測された。そのため、メキシコにとって、アメリカ市場への確実なアクセスの確保とともに、アメリカ市場への安定的な進出を保証する枠組の確立によって、アメリカの貿易保護主義に対処することも、メキシコがアメリカとの二国間的な貿易交渉をかなり重視した動機の一つであったといわれている。他には、メキシコ国内の問題として、経常収支の赤字幅が増大し、輸出の拡大を必要としたことや、ヨーロッパや日本からの投資が伸び悩み、経済成長にはアメリカからの投資拡大が不可欠だったことが挙げられる。

政治的な理由としては、NAFTAという国際協定へのコミットメントが、1985年からはじまったメキシコの国内改革を確固たるものにすることに役立つと考えられたことにある。つまり、メキシコの国内経済改革を拡大していくために、NAFTAは、貿易と投資に関する開放的な政策を積極的に維持するというメキシコの姿勢を対外的に示すものと位置付けられた。外国の投資は、資金不足に悩まされるメキシコの経済改革の成功にとって欠かせない要素になった。NAFTAの締結は、メキシコの信用度を高め、外国直接投資の流入、逃げた資本の本国送還および国際金融機関からの新たな貸出しをもたらすために有用であるとメキシコは期待していた。他には、ECの市場統合後、EC市場へのアクセスが不確実であったことや、アジア市場への進出が困難であったこと、ラテン・アメリカ市場が小規模であったことなどから、北米市場に目を向けざるをえなかったというメキシコの選択肢のなさも、メキシコのNAFTAへの傾斜の動機に数えられた。

アメリカにとってメキシコとの自由貿易協定の利益は、経済的なものと政治的なものとがあった。

  1. 経済的利益
  2. アメリカにとってメキシコは、カナダに次いで3番目の貿易パートナーであり、米墨自由貿易協定の締結は、貿易の安定と拡大をもたらすと考えられた。アメリカの輸出企業に、メキシコ市場への完全なアクセスを保証することになるからである。次に、自由貿易によるメキシコ自体の繁栄からアメリカは利益を受ける。つまり、メキシコ経済とアメリカ経済はますます緊密になり、刺激をうけるメキシコの経済は、アメリカの製品とサービスへの需要をもたらすのである。アメリカからメキシコへの輸出は、1986年の124億ドルから90年の284億ドルにまで増加した。アメリカ政府の説明によれば、アメリカからメキシコへ10億ドル輸出が増えるごとにアメリカ国内で2万人の雇用が生まれるという。米墨貿易収支は1987年に49億ドルの米国側赤字だったが、アメリカの対墨輸出増加で90年には18億ドルの赤字に減った。アメリカの関税率平均4%に対し、メキシコは10%である。自由貿易協定締結以前でも、メキシコの輸入増加の70%はアメリカからの輸入品で占められる傾向にあるので、今後自由化が進めばアメリカ経済は一層大きな利益を享受すると考えられた。さらに、人件費がアメリカの6分の1というメキシコの安い労働力を利用して、日欧企業に対する米国企業の国際競争力を強化することが期待された。最後に、NAFTAはメキシコで進行している貿易、投資の改革と知的財産権法の改善を補強するものとして機能すると見込まれた。このような改革は、アメリカ企業にとっては、実質的で新たな機会を生み出している。これによって、アメリカの雇用増加にもつながることが期待された。

  3. 政治的利益

1982年のメキシコの経済危機はアメリカにとって30万人の雇用の喪失をもたらしたばかりでなく、アメリカに仕事を求める数百万の不法入国者を生んだ。このため、自由貿易は、メキシコの経済成長と安定を促進し、不法移民問題を解決するためのいいチャンスであると評価された。より一般的な意味において、自由貿易協定の締結は、メキシコにおける政治安定や民主化への進歩をもたらすことから、アメリカにとって重要で持続的な利益があるといわれている。次に、自由貿易を通じて生ずる実益によって、対米戦争の敗北と領土喪失によるメキシコの反米感情を和らげ、歴史的な政治和解を達成することが期待された。その効果はラテン・アメリカ全般に波及すると考えられた。このように、メキシコとの自由貿易にアメリカが熱心であることは、特定の個人や政党の熱意による産物ではなく、友好的で安定した、繁栄する隣国にとって最善の成果をもたらすとの政治的判断であると考えられていた。

(ニ)NAFTA成立の過程

米加自由貿易協定を締結していたカナダが、19909月、米墨自由貿易協定の交渉への参加を決定した。しかしそれは消極的なものであった。カナダは、アメリカと違ってメキシコにおける大きな輸出市場をまだ持っていなかった。しかも、地政学上も切迫的な利益があるわけでもない。メキシコとの市場統合の利益は長期的で抽象的なものであり、89年に発行した米加自由貿易協定がカナダに利益をもたらしていないどころか、不況の多くの部分が当該協定に由来していると信じられていたこともあり、メキシコとの自由貿易協定には、反対する声が高く上がった。にもかかわらず、カナダが交渉に参加せざるをえない状況にあったのは、米加自由貿易協定の利益を守るため、新たな輸出機会を確立するために自由貿易協定をよりよいものにしようとする努力のためであった。アメリカが単独で多数の国々と自由貿易協定を結んだとすれば、アメリカのみがあらゆる市場への完全なアクセスを持つという優位な利益を有することになってしまうという危惧があったのである。

19916月、NAFTA交渉がスタートし、第1回閣僚レベルの会議が開催された。交渉は異例の速度で進み、閣僚会議7回、主席代表会議16回を経て、92812日、3カ国間でNAFTAの基本合意に達した。その後、NAFTAの批准に向けて、カナダとメキシコは議会の承認をとりつけることにあまり問題はなかったが、アメリカにおいては環境問題と労働問題で賛成派と反対派との応酬がみられた。アメリカでは、通商交渉権限は議会にあるが、法律によって大統領にこの権限が委任される。19916月、NAFTA交渉のために、議会はファストトラック(大統領に付与する一括交渉権限)の延長を承認した。(ファストトラックについては後述する。)その後、NAFTAの是非について白熱した論争が展開されたが、結局、環境と労働および輸入急増に対する救済措置に関する補完協定を結ぶことで、アメリカ政府は議会の承認を取り付け、199411日にNAFTAが発行した。

ニ 米州自由貿易構想

  アメリカは、NAFTAを成立させることによってNAFTAが直接的にもたらす経済的利益や政策上の利点を得ようと考えたが、NAFTAの目的は、NAFTAをさらに拡大することにあった。アメリカはなぜNAFTAのような自由貿易協定を拡大しようと考えたのか。そしてどのようなNAFTA拡大の構想を持っていたのかを、アメリカの通商政策の変化と、NAFTAの政治的影響力からみていくことにする。

(一)アメリカの通商政策の変化

NAFTAの成立は、GATTを中心としたグローバリズム(世界主義)だけでなく、地域主義(リージョナリズム)、二国間主義(バイラテラリズム)、一方主義(ユニラテラリズム)などによる「マルチトラック・アプローチ」が、米国の現実的な通商政策として定着したことを意味している。

1948年のGATT創設以来、米国の通商政策はグローバリズムに基づき、一貫してGATT交渉を通じて自由貿易の拡大を強力に推進してきた。しかしそれは、198211月のGATT閣僚会議の挫折を契機に転換することになる。この結果、米国はこれまでの無差別で多角的な貿易システムとは別の自由化を模索し始めた。一つが一方主義(ユニラテラリズム)といわれるもので、通商法301条やスーパー301条に基づく、制裁を武器にした一方的な市場開放要求であり、この一方主義は次第に強まっていった。その他に、地域主義(リージョナリズム)ないし二国間主義(バイラテラリズム)による域内自由化が考えられ、カナダとの二国間自由貿易協定の交渉を開始することになった。

NAFTAは、このニ国間交渉によるものであるといえる。ニ国間交渉主義は、多角的システムの不足の部分を補い、GATT交渉の新ラウンドで交渉する、より広範な多角的取り決めのための基礎部分を確立するために用いられるものである。米国政府はGATTの多国間交渉では容易に実現できない「GATTプラスα」をNAFTAによって米国に有利な形で実現しようと企図した。NAFTAは投資分野、知的財産権などについてはウルグアイ・ラウンドよりも合意内容が包括的であるために、NAFTA交渉を優先させることによってウルグアイ・ラウンド交渉における主導権を握り、交渉に対する米国の影響力を強めようとした。この意味で、NAFTAとウルグアイ・ラウンドは相互に補完的であるといえる。

アメリカがニ国間交渉主義を活用する背景には、アメリカ貿易の継続的赤字、多くの産業における国際競争力の低下およびアメリカの世界経済に占める相対的地位の低下があったと思われる。NAFTAは、多国間交渉と平行してニ国間交渉で個別にその政策意図を実現するという戦略の具体例であるといえる。

(ニ)NAFTAの政治的影響力

NAFTAは、そのものがすぐれて政治的であり、その拡大もまた政治的に企画されることを、否定することはできない。NAFTAの背景として最も重要なのは経済的要因よりも政治的要因であるという見解もある。

1に、アメリカの国際的な交渉力が、NAFTAによって一段と強化される。国際的な自由化交渉や相手国の市場開放を求める二国間交渉において、アメリカは、アメリカ一国の国内市場への参入を認めるかどうかだけしか直接の取引材料を持っていなかった。しかし、NAFTA締結後は、北米3カ国の市場全体への参入承認を、暗黙のうちに取引材料としてちらつかせる可能性が出てくることになる。そしてこれが、当時のECや日本に対するアメリカの交渉力の強化をもたらすと考えられた。NAFTAは、一面で各地の地域主義を助長する恐れもあるが、アメリカ自身の交渉力を強め、市場開放を要求する道具としても活用できると考えられた。

2に、NAFTAが動き出すことによって、中南米を含めた米州全体に対するアメリカの求心力が増大する。前ブッシュ政権は、1990627日、北米から南米までの全米州諸国で、貿易と投資を活発にし、対米国政府債務を軽減していくことを目標とした「米州自由貿易圏構想」(EAIEnterprise for Americas Initiative)に着手することを発表した。

3に、NAFTAはアメリカ国内で高まる保護主義と孤立主義に対し、一定の抑制効果を持つ。つまり、国内での政治的効果が期待できるというわけである。前ブッシュ政権は、まずNAFTAを成功させることによってアメリカ国民の意識の国際化に弾みをつけ、市場規模の一層の拡大と国境を越えた経済の統合という、1990年代の世界の基本潮流にアメリカを徐々に適応させていく基本方針を持っていたようである。

(三)米州自由貿易圏構想

EAI構想は、北のフェアバンクスから南のフエゴ島まで、あるいは北極から南極までの西半球を覆う自由経済市場を提唱したものである。それを実現する手段として、_投資の奨励、_債務の圧縮を通じての援助および_貿易障壁の除去、が挙げられた。_は、米国政府がラテンアメリカにもつ120億ドルの債権を国ごとの条件に応じて償却していくというものであった。

これは、ECの市場統合とそれに続く欧州経済地域(EEA)創設への動きに対抗して、自分の足元を固めるためでもあった。そしてまず、中南米の中では先進的なメキシコと自由貿易協定を結び、徐々に他の国に広げていくという戦略をとった。1980年代前半までの中南米は反米主義の風潮が強かったが、1989年以降の東西冷戦の終焉、社会主義経済の崩壊とともに、米国との関係を重視する姿勢に転換していった。こうしたなか19916月に米州機構の年次総会では、EAIを支持する決議が満場一致で採択された。そして、NAFTAの交渉開始を、全米州を包みこむEAIを推進する上での有力な一構成部分として位置付けていたのである。

1993年春、NAFTAの行方がまだ定まらないころ、米加とラテンアメリカの財界人で構成されるアメリカズ・ソサイエティとカウンシル・オブ・アメリカズの合同フォーラムは、西半球全域を2000年までに単一の自由貿易地域とするよう努力するとの提案を、満場一致で支持した。

同年11月、NAFTA批准の直後に、クリントン大統領は中米の7カ国首脳と会した後、NAFTAの中米への拡大を94年から本格的に開始すると述べた。クリントン大統領はカンター通商代表に、NAFTAの理念を中核とした貿易政策の検討を求め、これに基づく報告書を947月、議会に提出した。米州自由貿易圏をめぐっては、中南米の一員であるメキシコがNAFTAに加わったのを契機に、同協定の「南進」を求める声が中南米諸国の間で高まっていた。しかし、いきなりNAFTAに参加するのではなく、まずは発展レベルの同じ近隣諸国との統合から段階的に進めるのがよいとする見方も多く、中南米にサブリージョナルな統合化の波が一斉に巻き起こっていった。

米国がNAFTAの拡大を図るには、まず個々の国と加盟交渉を行う方法がある。チリを筆頭に、アルゼンチン、コロンビア、ベネズエラ、コスタリカなどが当面の候補と考えられた。自由貿易協定の最大の要件は近接性、具体的には国境を接していることであり、遠隔国同士での効果は十分に発揮されにくく、その意味では一種の実験となる。

NAFTA拡大の方法としては、特定の地域グループと交渉して、それとの連合協定を結ぶか、グループ全体をNAFTAに加入させることが考えられる。この際には、利害の調整をグループ内部と対NAFTAの二重に行わねばならない。米国がNAFTAに加入する相手を、自国の政策や競争力の見地から恣意的に選ぶのは、適当なことではない。それはラテンアメリカ経済の正常な発展を歪め、ひいては世界経済全般に悪影響を及ぼすからである。

こうした情勢をみて、米国はNAFTAの中南米拡大をテーマとする米州サミットの開催(199412月、マイアミ)を提唱した。NAFTAがすぐにも中南米に拡大するという可能性は少ないが、中南米を含む米州全体に対する米国の求心力は増大していくとみられた。このように、NAFTAは対米不信から対米協調への転換として位置付けられている。

アメリカ政府の長期戦略の中では、NAFTAはそれ自体が最終目的ではなく、米州全体を射程に入れたEAIの方がより上位の目標になっていることを認識しておくべきである。

一方、NAFTAを中南米に拡大していくEAI構想に対して、アジア諸国からは、アジアを排除した西半球だけの経済ブロック化につながりかねないとの批判が集中した。このため、前クリントン政権はNAFTAを究極的にAPEC(アジア太平洋経済協力会議:Asia-Pacific Economic Cooperation)に包含させ、アジア太平洋地域を一つの自由貿易圏にするとの野心的な考えを打ち出した。これが新太平洋共同体(The New Pacific Community)構想と呼ばれるものである。

(四)NAFTA批准をめぐって

米国では19931月にNAFTA交渉を積極的に推進したブッシュ政権に代わり、党内多数がNAFTAに反対していた民主党のクリントン政権が発足し、また、カナダではやはりNAFTAを推進してきたマルルーニ首相が辞任の意思を表明し、NAFTA批准の先行きは不透明になった。

クリントン大統領はNAFTAについて原則として支持を表明したものの、ブッシュ政権下で合意に達した協定内容では、_米国からメキシコへの大量の雇用流出_メキシコの甘い環境規制による環境汚染の拡大_輸入急増による国内産業への被害に対する対応策が不十分であるとし、これら3分野において、3カ国間での補完協定の締結を要請した。

19933月から始まった補完協定交渉は8月には入りようやく合意に達したが、メキシコとカナダに関する扱いが異なるという変則的な内容となった。合意された付属協定の内容は、以下の通りである。_もし締約国のうち1カ国が環境規制・基準の違反を継続的に放置しているとみなされると、他の締約国はその是正を求めて当該国と協議する。_そこで話し合いがつかなければ専門家からなる仲裁パネルが設置され、そこで環境規制・基準が厳正に適用されていないと判断され、しかもそれを是正するためのアクションプランにつき合意が得られない場合は、当該国政府に対して最高2000万ドルまでの罰金を科すことができる。_次に、もし当該国が罰金支払いを拒否したり、引き続き企業や個人に法を順守させることができない場合の扱いはカナダとそれ以外の2カ国で異なる。アメリカやメキシコが被告の場合は、是正を求める国は特定分野に関する関税をNAFTA発効以前の水準に引き上げるという貿易制限措置を発動できるが、カナダの場合は自国の裁判所が国に罰金の支払いを命じ、法の運用を是正させる。従ってカナダについては他国による貿易制限措置はない。   

クリントン政権は、労働と環境に関する補完協定の締結で、議会の反対派を抑えこみ、NAFTAの承認をえようとしていた。だが、ロス・ペロー前大統領候補が反対派の旗頭となって強烈な反対キャンペーンを展開し、これに労働組合や、労組を支持基盤とする多くの民主党議員らが同調して、反対運動が急速に高まり、NAFTAは全米的な論争を引き起こした。19936月には、政府に対して、NAFTAの環境への影響を調べるために「環境影響報告書」を作成するように命じる判決が下された。ここでの原告はパブリック・シチズン、シエラクラブ、地球の友という、市民団体や環境保護団体として知られた団体であり、被告は米国通商代表部(USTR)であった。なかでもシエラクラブは、_NAFTAは国境地帯を中心に工業化の進展により環境を汚染し、浄化の費用は200億ドルと推定されるが、工業化による利益をこの浄化にまわすための基金調達メカニズムがない限り賛成できないということ、_アメリカとメキシコの環境基準の相違により、米国企業が競争力を失ったり移転したりするのを防ぐために、アメリカの環境規制・基準が低い方に流れるということ、_将来アメリカが環境に関する国際条約を締結する際、カナダ・メキシコの同意を得る必要が生じる。従って、大統領がこうした点に真剣に取り組まない限り、NAFTAには賛成できない、と主張した。クリントンにとっては、もしNAFTAの批准に失敗すれば、_米国の対外的威信の失墜_ウルグアイ・ラウンド交渉等への悪影響_加墨両国との関係悪化、といった外交上のマイナスはもちろん、_指導力欠如の批判を招き、1996年の大統領選挙にも大きな打撃を与えてしまうだけに、クリントン大統領は与党・民主党議員の説得のために必死の努力をした。

結局、NAFTA実施法案は、199311月に米議会に提出され、まず下院で賛成234票、反対200票という予想以上の差で可決され、続いて上院でも賛成61票、反対38票で可決された。

三 NAFTA拡大へ

NAFTA交渉をスタートしたブッシュ前大統領、批准を進めたクリントン前大統領、そして現ブッシュ大統領とも、NAFTAをさらに発展させることを考えた。そして、メルコスル(南米南部共同市場:Mercosur)をそこへ吸収して、FTAA(米州自由貿易圏)を実現する戦略目標を具体的に描いてきた。以下ではNAFTAとメルコスル加盟国間の関係やFTAAへの歩みを述べ、アメリカがFTAAを実現するのに必要なファストトラック問題について述べたい。

(一)メルコスルとは

  メルコスル(南米南部共同市場:Mercosur)は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイが加盟しており、19913月の設立条約(アスンシオン条約)によって成立した。そして、951月から発足する予定であったが、対外共通関税の制定や域内関税の撤廃、旅行等の外貨持出し枠の廃止などについて、部分的に前倒し実施が始まっていた。9412月になってから、域内関税の適用外となる例外品目について最終的合意が成立した。メルコスルが成立したのは、ブラジル・アルゼンチン両国の相互貿易依存度がかなり高いことに由来する。ブラジルの対アルゼンチン輸出は輸出総額の9.4%、同じく輸入比率は10.2%であった(1993年時)。アルゼンチンの対ブラジル輸出は、総額の32.8%、同じく輸入比率は19.9%であった(1994年時)。しかし、両国とも対米貿易依存度はかなり高い。ブラジルの対米輸出比率は20.7%、同じく輸入比率は23.4%(1993年時)であり、アルゼンチンの場合は、対米輸出比率が10.8%、対米輸入比率が22.7%であった(1994年時)。メルコスルを支えるブラジル、アルゼンチン両国の対米貿易依存度が、アメリカとの関係を複雑なものにしている。

(ニ)NAFTAとメルコスル

北米・中南米34カ国(キューバを除く)は、毎年1回、西半球首脳会議を開催している。1994年、マイアミ首脳会議においてクリントン大統領は、西暦2005年までに米州自由貿易圏(FTAA: Free trade Area of the Americas)の結成を提案した。つまり、NAFTAとメルコスルとをアメリカ主導の下で合体させようとするものであった。

19975月、ブラジル東南都市ベロ・オリゾンテで開催された西半球首脳会議では、アメリカとブラジルとのFTAAに対するアプローチの違いが鮮明となった。アメリカ側はカナダの支持を受けて、1年後のサンチャゴ首脳会議後、直ちに関税引き下げ交渉に入り、メルコスル市場のできるだけ早い時期の開放を求めた。これに対して、ブラジルは、メルコスル加盟国の支持を得て、3段階交渉を提案した。第1段階は1998年であって、事業の便宜提供と規制の緩和策にとどめる。第2段階は1999年であって、貿易紛争処理と原産国標示規則について交渉を行う。第3段階は2003年までに、関税引き下げ交渉を開始する。さらにアメリカ側は、安全保障、麻薬取締り、そして環境および労働問題に関する西半球全体の問題について協定締結を提案した。ブラジル側としては、アメリカにFTAAの主導権を握られないために、段階的な交渉によって時間稼ぎを続けたかったとみられる。

その後、クリントン大統領は、メルコスル加盟国と関税引き下げ交渉を進めるのに必要なファストトラックを得られなかった。野党である共和党が多数を占める議会の承認を得られなかったためである。その結果、メルコスルは、市場アクセス問題を含めすべての問題に関する交渉を同時に開始し、各交渉部会が相互に協議の進歩についてバランスを維持しながら、漸進的に交渉を進めていき、最終的にすべての問題についてコンセンサスが得られる場合に限って、すべての合意事項を一括して実施する交渉方式を主張してきた。アメリカは譲歩して、このメルコスルの交渉方式を受け入れた。チリは、19956月からNAFTA加盟交渉を開始する予定であった。しかし、ファストトラック権限を欠くクリントン大統領と加盟交渉を行う意図は持たず、メルコスルとの関係を強化していこうとしていた。

アメリカ議会は、FTAA結成を促進するため大統領のファストトラック権限を承認するのとは、別な方向で動き出した。東アジア通貨・経済危機によって米国の農産物輸出が減少し、そのため経営困難に陥った農家の経済に重点を置くようになったのである。したがって、米国の輸出を阻害する不当な政策・慣行を禁止、撤廃、削減することを目的とする通商協定に対する大統領のファストトラック権限を認めようとするものであった。これは、米国農産物輸出を不当に阻害する相手国に対する制裁を目的とした保護貿易的性格を強めることになる。

メルコスルを含めた中南米11カ国の対米輸入依存度は、42%(1996年)に達している。そのうち、アルゼンチンは20%、ブラジルは20.7%、チリは23.1%である。アメリカの農産物輸出の強化が、メルコスルとの間で経済摩擦を生ずる可能性は高い。

(三)米州首脳会議

  2002年、422日、カナダ東部のケベックで閉幕した米州首脳会議は、FTAA(米州自由貿易圏)に向けての、1994年、1998年に続いて3回目の会議であった。FTAAが成立すれば、総人口8億人、国内総生産(GDP)計17千億ドルという世界最大の自由貿易圏ができることになる。NAFTAとメルコスルがこの統合の基礎にあり、中南米全域を経済圏にとり込む戦略をアメリカが提唱した。キューバを除く34カ国の首脳が参加し、2005年末までにFTAAを正式発足させることを盛りこんだ「ケベック宣言」を採択した。また、同宣言では、FTAA参加国が民主主義を共通の価値とすることを強調し、一党独裁体制にあるキューバをFTAA構想から締め出す方針を明らかにした。

  ブッシュ大統領は、NAFTAの成果を強調し、「FTAANAFTAの成果を押し広げていくという、当然の帰結だ」と述べて、自由貿易の利益を南北アメリカすべてに行き渡らせる意欲を示している。しかし、ブッシュ大統領はまだファストトラックを議会から承認されていない。前節でも述べたように、クリントン前大統領は1997年、ファストトラックの成立に失敗し、政策遂行意欲を大きく減退させた。ブッシュ大統領が「FTAA2005年発足」の目標を今回改めて確認したのは、中南米諸国との交渉にかけるブッシュ大統領の中南米政策への意気込みを示している。

(四)ファストトラック問題

ファストトラック法案には、民主党ばかりか共和党内にも抵抗がある。実際、大統領の弟が州知事を務め、共和党勢力が強いとされているフロリダ州選出の二人の共和党議員が、法案の不支持を表明する手紙を大統領に送りつける「事件」が7月に起きた。貿易自由化で安い農産物の輸入が増え、果物や野菜を特産品とする同州の経済に悪影響が出るとして、「法案支持は難しい」と大統領あての手紙に記したのである。共和党が守勢に回った背景には、米国の景気後退が長引く中、貿易自由化が米企業の業績圧迫や労働者の雇用不安を招くとする民主党の主張が説得力を増している点がある。大型減税をめぐる攻防では、共和党が景気の先行き不安を逆手にとり、減税の必要性を訴えたが、今回は民主党が景気減速を自説の説得材料に巧みにとり入れたようである。共和党も黙ってはおらず、中小企業経営者や農業関係者らを頻繁に集めては、「大統領がファストトラックを持たなければ、米国と通商協定を締結しても内容が議会によって修正されてしまう恐れがあり、貿易相手国は米国との協定締結をためらうだろう」などと、いつになく強い口調で対決姿勢を鮮明に打ち出している。さらに、ポール・オニール財務長官やアラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長といった通商問題と直接関係のない人物まで担ぎ出し、講演や議会でファストトラックの意義を説かせるなど、政権を挙げて支持獲得に動いている。

一方、上院では、民主党のマックス・ボーカス財政委員長が、通商協定の相手国が労働基準の順守や環境保護への配慮などの条件を守らない場合、制裁や罰金を科す条項を含む別の法案を提出するなど、妥協点を模索する動きも出始めた。ただ、与野党の対立の背景には、双方の有力支持層の意向があり、妥協成立は容易ではない。大統領がファストトラックの獲得に失敗すれば、政策の根幹が揺らぎ、大統領は大きな痛手を被ることになる。今後の行方に注目が集まっている。

(ファストトラックをめぐる主な過去の動きと今後の流れ)

  1. ファストトラックが74年通商法に盛りこまれる
  2. フォード大統領が初めて獲得
  1. 大詰めを迎えたウルグアイ・ラウンド交渉に配慮、ファストトラックを延長
  2. ファストトラックが失効(クリントン大統領は以後、何度も再獲得を試みるが、いずれも議会の反対で失敗に終わる)

20016月 ブッシュ・共和党政権がファストトラック法案を提出

2001年7月末 共和党、議会休会前の下院法案通過を断念

200184日 議会休会入り

20019月 議会再開。法案審議大詰めへ

200111月 WTO閣僚会議で新ラウンド問題を協議へ(ブッシュ政権は同会議前の法案成立を目指す)

終章

NAFTAFTAAについてみてきたが、地域経済統合のねらいは、いうまでもなく統合地域の経済成長にある。加盟国によって、思惑の違い、享受する経済効果の違いは多少あるにせよ、統合が全加盟国にとってプラスとなるような形で行われるのは当然である。

地域経済統合は、多国籍企業を誘引する効果をもつといえる。この効果は、雇用や資本の増大、新技術の獲得・伝播、市場競争の激化となって現れ、生産性の上昇へと結びつく。ときに多国籍企業は、自らの効率基準によって事業展開を図るために、市場内および市場間での効率的資源配分を妨げるような企業行動をとることもある。

ここで問題となるのは、域外国、特に発展途上国に対して、直接投資においてマイナスの効果が働く可能性である。いまや貿易が直接投資に従うという状況では、直接投資がマイナスに働くことは往々にして貿易にマイナスの作用をすることをも伴い、域外国に大きな経済的損失をもたらす。多国籍企業の進出は、雇用、資本、技術などを通して、国の経済成長に大きく寄与する。したがって、特に発展途上国にとっては、「成長のエンジン」である多国籍企業の力を活用しなくては、経済成長は不可能である。にもかかわらず、地域経済統合が発展途上国へと向かうはずの多国籍企業を、もしくはすでに発展途上国に展開している多国籍企業を、経済統合地域に引き寄せてしまっているといえる。さらにまた、地域経済統合には、保護主義的な貿易政策を強めるような潜在的脅威が常に存在している。発展途上国はその経済成長を欧米の先進国市場への輸出に大きく依存しているため、そのような政策がとられた場合、発展途上国は主たる輸出先を失い、貿易において大きな損失を被ることにもなる。発展途上国同士のケースであっても、域内輸出比率が低く、輸出先を域外先進国市場に求めなければならない状況にある。

発展途上国の経済成長にとって、輸出の促進と多国籍企業の誘致がニ本柱なのである。そのためには、先進国との地域経済統合も一つの有力な手段である。しかし、地域経済統合の目的である域内企業の国際競争力強化には、必然的に域内の産業構造の転換・再編成をともなうので、それによって生じる失業などの調整コストを、域外に転嫁しようとする圧力が常に働く。こうして、地域経済統合は、本来保護主義に基づくものではないにもかかわらす、リージョナル・ボーダー上で保護主義措置がとられる危険が常につきまとう。国際競争力の強化は、保護によってではなく、競争の促進によって達成されねばならないが、現実には、特定品目を対象とした非関税障壁が高くなっている。発展途上国の輸出には、つねに暗雲がよぎる。

発展途上国の地域経済統合の成功には必要条件として先進国を含んだ統合を意味しており、多国籍企業による地域生産ネットワークの構築が不可欠である。発展途上国のみによる地域経済統合では、十分に成功条件を満たしてはいない。

先進国との地域経済統合に求められる経済的条件を分析してみると、3つの条件が明らかになる。第1に、物価の安定である。発展途上国で、高いインフレ率が続くと為替レートの変動が大きく、自国通貨安による輸出補助との批判を招くことになる。メキシコの場合、3桁のインフレが続いていたが、1989年には30%弱へと低下した。第2は、国家による経済統制から、市場経済への移行である。メキシコでは、規制緩和や自由化が進められており、中国やベトナムでも市場経済がとりいれられ、先進国の企業進出が加速している。第3は、国家の歳入に占める財政関税の割合を低下させることであるこの割合が高ければ、貿易の自由化は困難である。

発展途上国同士による地域経済統合によって経済成長を図るには、大きな困難が予測される。NAFTAは先進国と発展途上国による地域経済統合の代表例である。米国とカナダ間、米国とメキシコ間ではすでに貿易の大部分で関税が削減・撤廃されていた。また、米国の多国籍企業が両国へすでにかなり進出しており、地域生産ネットワークが構築されていた。NAFTAはこの既存の関係を制度化し、安定化させようとねらったのである。ここでは、米国の多国籍企業活動が先行していた。特にメキシコでは、政策を対内志向から対外志向へと積極転換し、マキラドーラによって多国籍企業を誘致してきた。これが域内貿易比率を高める効果となり、NAFTAという自由貿易協定へと結実した。多国籍企業が主体となって推進される域内分業体制の構築が、域内相互依存関係をより一層深化させている。もはや発展途上国は進展する地域主義(リージョナリゼーション)から外れていては、経済成長は望めないといえるのではないだろうか。

1997年、アメリカではNAFTAへの関心が薄れていた。全体として評価すれば、貿易と直接投資を拡大させたこと、通貨危機とそれに続く深刻な経済停滞の影響を和らげたこと、また、500億ドルに達するアメリカからの金融支援を可能としたという意味において、メキシコはNAFTA加盟により利益を得たといえる。その他、アメリカが期待した不法移民や麻薬の問題や、メキシコの政治的混乱の影響の緩和については、全くの期待はずれであったといわれている。

NAFTAの評価はまちまちであり、例えば、前クリントン政権の報告書はNAFTAによってアメリカ国内で9万から16万人の雇用が創出されたとしているのに対し、アメリカの労働組合は40万人の雇用が失われたとしている。しかし、貿易や投資、雇用の実績は、現実にはいろいろな要因の結果であり、NAFTA効果を識別するのは困難だとされる。そのような中、マクロ的な影響を排除し、産業レベルで関税引き下げ率と輸入の増加率の関係を統計的に分析した研究によると、メキシコの輸入においてのみ、有意な関係が存在している。こうした分析が正しいとするならば、NAFTAは域外に差別的な効果を持ち、少なくともメキシコへの輸出に貢献したとみなすことができる。このことは、メキシコという発展途上国が、地域経済統合において成果を得たという実例になると考えられるのではないだろうか。

他に、NAFTAの効果として次の三つの点をあげることができると考えられる。

 一つは、マキラドーラ産業の急速な拡大である。次に、NAFTAによる投資の拡大効果である。そして、最後に、実効性の高い紛争解決の制度を有していることである。それによって多数の委員会や作業グループが設置され、おおむね解決が図られてきている。

アメリカにとってNAFTAは、経済はもちろん、政治的意義の大きな自由貿易協定であり、米州自由貿易圏構想においても同じことが言える。このことは、2001年に米州自由貿易地域(FTAA)について開かれたアメリカ首脳会議(米州サミット)でも明らかであった。

  前述したとおり、FTAAには加盟国すべてにおいて民主主義が育つことを一つの大きな目標としている。民主化条項はアメリカが強く求めたものであり、現在排除しているキューバと同様、「民主的な秩序を壊すような国」に対してはFTAAへの参加を見直すことを記した。主催国カナダは民主化後退の兆しがあるとしてハイチへの懸念を表明した。宣言と行動計画は、環境、経済、貧困、移民、麻薬、教育、IT(情報技術)などの協力についても盛りこまれている。南米諸国にはアメリカへの警戒心も強く、南米諸国の結束にもほころびが目立ち始めている。とくに、南米でも経済力のあるブラジルが、FTAA交渉においてアメリカを牽制する「南米の共通の利益」を唱えたが、自由貿易に積極的なチリがブラジルの高い関税率を嫌って、ブラジル中心のメルコスルへの正式加盟よりも、アメリカとの単独の自由貿易協定交渉を優先する方針に転換した。メルコスルの盟友であるアルゼンチンさえも、メルコスルを通じた自由貿易協定交渉よりも、アメリカやEUとの単独交渉に意欲を示している。その意味では、FTAA創設へ向けて、ブッシュ政権に有利に展開しているようである。実際、ブッシュ大統領は2000年秋の大統領選挙で、「自由貿易で結び付けられた民主的な西半球を推進する」ことと、「貿易の自由世界へと導くこと」の2点を強調している。加えて、10年後にはアメリカの西半球との貿易規模は欧州連合と日本を合わせたより大きくなるだろうと予測されており、FTAAがそれを加速させるとみられる。バーナード・アロンソン元米国務次官補は、「これはグローバリゼーションの一環だ。ここではいずれドル化も進むだろう。FTAAは中国のWTO加盟とともに21世紀世界の兆しなのだ」と言っている。

USTR(アメリカ通商代表部)は、NAFTAについて、カナダ・メキシコとの協力と平和の絆が強まり、国民はより繁栄し、生活水準は高まる、と主張するようにNAFTAを推進してきた。また、「どの地域でもNAFTAのおかげで以前よりも暮らし向きがよくなった。アメリカ経済は強くなり、成長している。貿易は繁栄している。NAFTA加盟国はグローバルな経済においてアメリカが競争的な刃を立てているのを保持させてくれている。そしてアメリカの価値_自由、機会、平等_は北米を通して前進している」というように、アメリカ的な価値のもとに自由貿易化が促進されることを期待している。そして今回のFTAA会議においても、ロバート・ゼーリックUSTR代表は議会証言で、「NAFTA加盟によるメキシコの『市場への解放』と最初の野党政権誕生という『民主主義への開放』とは脈絡なしに起こったものではない」と述べている。

もはや、一国単独での富の追求が不可能になったために、地域(リージョナリズム)であるいは世界全体(グローバリズム)で、富を追求せざるをえなくなっている。しかしそこで国境を越えるものは富や財やモノだけでなく、各国が持つ制度や社会やイデオロギーであることを忘れてはならないと思う。NAFTAの拡大は、経済規模の拡大とともに、民主主義の拡大の方向に向かって進んでいる。