「政治的なもの」の多義性

「パラダイム」(クーン『科学革命の構造』、みすず書房)という概念

  1. 「科学者コミュニティーの成員によって共有されている信念、価値、技法などの全集合」
  2. 「通常科学の教授に際して、模範として使われるパズル解き」
要するに「一定期間、専門家に対して、問い方や答え方のモデルを提供することになる広く承認された業績」

パラダイム転換としての「政治」の観念(パラダイム転換には世界像の転換が伴う)

近代民主主義の原型としてのポリス?
ポリスとは何だったか
ポリスは都市でも国家でもない。それは地理的・空間的観念ではなく、たとえばアテネというポリスはアテネ人が私的なものを省みずに集い、法が支配する公的空間に積極的に参加する人的で倫理的な結合体を指す。一般に近代以前の政治共同体の観念はどれも人的結合体をさすもので、権力装置や統治機構という枠組みを表すstateの意味での国家の観念が登場するのは近代以降となる。

アテネの直接民主制
民会にはすべての市民が平等の参加資格を持ち、軍の司令官をのぞく公職は、通常一年という非常に短い任期で、それもくじ引きと輪番制によって選出されていた。


  デモス クラティア
最大のポリスアテネ
面積:佐賀県
人口:約30万
その中でデモス=市民(成人男子)は1/4
奴隷:言葉をしゃべる道具(アリストテレス
*近代的な意味(個人主義)の自由はない。全体から出発して市民を完全に服従させる。・・・ポリスへの抵抗権などありえぬ。ありうるのは他のポリスへ侵攻する自由

ここでの民主政とは支配形態の問題
君主政 暴君政 貴族政 寡頭政 民主政 衆愚政

私生活privacyとは、人間的能力が何か奪われたdeprived状態として、それを省みるのは卑しいこととされていた。
H・アーレント『人間の条件』、ちくま学芸文庫
デーモスにとって、「私的なもの」をなげうち、ポリスでの「公的なもの」に献身することが美徳と考えられていたが、それは生命の維持や種の保存という、「低次元の」労働が奴隷や女性に押しつけられていたからこそ可能になるものだった。近代民主主義の前提となる個人主義はいまだ存在 していなかった。

ギリシァにおける「政治」の発見

ピュシス(自然)とノモス(作為、慣習、法、制度)をめぐるソフィストたちの問答が、自然現象から独立した、人間自身の手によってつくられる「政治的なもの」の意識を形成した。

ギリシァにおける哲学の姿−−方法としての哲学

哲学と宗教

  1. 抽象的思考vs.物語(神話)
  2. 物語の共同体を越えた言語ゲーム-->普遍性(開かれた言語ゲーム)
     -->「閉じた社会」から「開かれた社会」へ
      参照K.R.ポパー『開かれた社会とその敵』、未来社
  3. 自由な意識(個)vs.宿命論(摂理)・・・前提を疑わない宗教<--政治的権威にとって好都合(政治神学)

「ソフィスト」とは誰か

  1. その方法:弁論術(レトリケー)
  2. その目的:徳(アレテー)の育成
  3. 「徳の教師」、ソフィストの両義性(教師か、詭弁を弄する詐欺師か)

ピュシスとノモス−−正義論の原型

  1. 二元論  アンティポン
          ピュシス:万人が平等にわけもつ真理
         ノモス:真理に反して制定された正義

  2. 真理=強者の利益説   カリクレス(プラトンのゴルギアスに登場)
          ピュシスの正義:より強いもの、より優れたものが多く得る
          ノモスの正義:より強いもの、より優れたものに型をはめる悪しきもの

  3. ノモス妥協説   グラウコン(プラトンのポリーティアー)
      ピユシス:闘争
      ノモス:弱者救済の便宜的契約
      「不正を働きながら罰を受けないという最善の事と、不正な仕打ちを受けながら仕返しをする能力がない最悪の事との間の中間的な妥協」としてのノモスの正義

  4. 正義=強者の利益説  トラシュマコス(ポリーティアー)
      法とは支配階級がみずからの利益のためにつくり、それを正しいと宣言してお人好しの人民を支配する道具。不正こそが得をもたらす。

    ソクラテス=プラトンの反論:支配者とは羊飼い、あるいは医者のごとき者である。すぐれた者が支配者になるのは、彼らが自分たちより劣ったものに支配されることを恐れるから。(これはプラトンがソクラテスをして語らしめたプラトン説の可能性が高い)正義とは徳とそれについての知恵である。

ソクラテス:最大にしてもっとも危険な「ソフィスト」
人間のピュシス:努力による獲得=徳・・・個々人の魂の卓越性
ピュシスとノモスの二元論ではなく、その相互依存性の認識
参考
「習慣は第二の天性である」(パスカル)・・・human nature(人間的自然=天性、つまり「人為(努力)」により形成される「人間の自然」)

   「無知の知」
われわれは「自分の知らないもの」をリストアップできない。「自分が知らない」と「知っていること」はすでに知っているということである。
ここでソクラテス的な「無知の知」、自分が知らないということを自覚することが必要となるが近代科学はこれを許さない。
->ソクラテスの「無知の知」はパラドックスを内包している。しかしこのパラドックスを回避した近代科学は一種の「宗教」になる。
->「全知全能」の神になりかわろうとする近代科学の決定論の神話
・「自由とは必然性の洞察である」(エンゲルス)という名(迷)言
*誰が「すべてを知る」ことなどできよう。非決定論(必ずしもすべての出来事がそのあらゆる極微の細部に渡って絶対的正確さをもってあらかじめ決められているわけではないという教説)的な、あてにならない「知」を前提にせざるをえない。この前提から何ができるか。
ソクラテスの知徳合一性(「正義とは何かの知を持つ者」=「有徳者」?)

プラトンにおける認識論(イデア論)と政治論(哲人王思想)の結合
「普遍的なもの」の追求・・・プラトンの両義性(変化を嫌う反動思想家という側面)

変化するもの・・・現世、肉体
変化しないもの・・魂

 



<=魂の正しい調和


ポリスの正しい調和=>

ポリス神の創造
知恵統治者
勇気軍人
欲望手工業者・商人、農民銅・鉄



イデア論と洞窟の比喩
「哲人王」思想
統治者階級の指導者=全ポリスの統治者(政治力+真理(イデア)認識能力

「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり、あるいは現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが真実かつ十分に哲学するのでないかぎり、すなわち政治権力と哲学的精神とが一体化されて多くの人々の素質が現在のようにこの 二つのどちらかの方向に別々に進のが強制的に禁止されるのでないかぎり、国々にとって不幸の止むことはないし、また人類にとっても同様だと僕は思う」

公教育の重視・・・ソクラテスの刑死のショックから力で正しい秩序を作り出そうとするプラトン
教育=魂の訓練
詩はその妨害、ポリスから詩人を追放
循環する政体に終止符を打つ哲人王=民主主義批判
自由と放任に終始し、資質のない、単なるクジで選ばれた指導者は国々にとってたいせつなことの判断能力を欠くまま民衆のごきげんとりに走るその結果人々の「魂の空洞化」が生じ、僭主(独裁者)が生まれる。

・支配者に許された「高貴な嘘」、共産思想
-->「全体主義思想の最初の提唱者」(ポパー)としてのプラトン?

*この問題は近代民主主義との文脈の相違(人権が政治の正統性根拠)を踏まえた上で考えなければならない。

アリストテレス
非アテネ人による、アテネ没落を目前にしたギリシァ哲学の集大成

   そのソクラテス批判
        知徳合一説批判−−>テオリアvsプラクシス

   そのプラトン批判
       ・イデアの普遍性<−−これは実在たりえない

質量(ヒューレー)質量・基体
形相(エイドス)本質・「何であるか」
始動(アルケー)物事の生成、運動の始点
目的(テロス)物事の生成、運動の終着点
        人間の認識能力は実在するものの認識である。
       ・共産制批判 

アリストテレスの学問区分
学の形態知の形態具体的学科/特徴
theoriaepisteme数学、自然科学、形而上学
‥‥‥運動原理が対象そのものの中にある
praxisphronesis倫理学、政治学、家政学
‥‥‥運動原理が対象たる行為者の中にある
poiesistechne芸術、詩学、医学
‥‥‥運動原理が対象の外の行為者の中にある

政治学とそれを支えるプロネーシス(実践知):
人間を人間たらしめているのがポリスである(「人間は本性上ポリス的動物である」)から、その人間の特性を最大限発揮し、ポリスにおける最高の善を実現すること、そのためにポリスという共同生活の場で、あるべき秩序をめぐって市民が対話を繰り広げ、 それによってポリスの秩序を形成していくという対話の実践が重要となるが、それを支える知の形態がプロネーシスである。それは変転きわまりない政治生活を確立・維持するのに必要な知であり、プラトンのそれと異なり、厳密な論証、確実性を必要としな い。-->倫理学としての政治学

アリストテレスのヒエラルヒー的宇宙観