第一条:(自由)すべての個人は完全に自由であり、どのような選択肢に対して
もその好みに応じて、制約を受けることなく序列をつけることができる。
第二条:(会員主権)会の決定はメンバー全員の意志によって決定される。会員
全員が望ましいと判断する決定には会は従わなければならない(2)。
第三条:(無関係対象からの独立性)二つの選択肢の優劣に対して議論している
ときに、それとは関係のない第3の選択肢の話を持ち出してきて議論を紛
糾させるようなことは許されない。
第四条:(独裁の禁止)独裁はこれを禁ずる。
さすがは「民主主義友の会」である。民主主義の十分条件として、これだけで足りるのか疑問がないわけでもないが、少なくとも条文の一つ一つを見る限りもっともな原則であるから、必要条件とみなしてもさしつかえはなかろう。
反対側の壁には、いかにも潔癖主義者のサークルらしい二つの「モットー」が見える。
モットー1:比較しろと言われたときは「比較できない」などと逃げずに、比較
すること(連結律)。
モットー2:矛盾したことを言うな。例えばx≧yでy≧zならばx≧zを受け
入れなければ循環順序が生じてしまうことを肝に銘ぜよ(推移律)。
部屋の中では折しも7人のメンバーが飲み会の会場をどこにするかで相談しているようである。どうも居酒屋派とパブ派、カラオケ派に意見が分裂し、モットーに則って7名が3つの選択肢についてそれぞれ自由に選択順位を決定し、投票で決めることに話はおちついたようである。投票の結果は以下の表のようになった。
| 第1位 | 第2位 | 第3位 | |
| 太郎 | 居酒屋 | パブ | カラオケ |
| 花子 | パブ | カラオケ | 居酒屋 |
| 次郎 | パブ | カラオケ | 居酒屋 |
| 京子 | パブ | カラオケ | 居酒屋 |
| 裕樹 | カラオケ | 居酒屋 | パブ |
| 恵子 | カラオケ | 居酒屋 | パブ |
| 瑞樹 | カラオケ | 居酒屋 | パブ |
満場一致?
ひとしきり歌い終わり、酒もかなり入ってきたところで、先の会議では無言を通した裕樹が口火を切った。「先生、前から思っていたのですけれど、多数決って、やっぱりだめですよね。日本古来からのやり方である<満場一致>ですよね。」
女子学生とのバカ話に興じていたところを、いきなりふいを突かれた禿原先生は今しも飲みかけのチューハイにむせかえった。「何を言い出すのかと思ったら、ゴホッ、ゴホッ、君ねえ、日本が満場一致の社会だったなんて言うのは根拠がないよ(6)。第一、全員一致っていうのは、各人の意見を尊重するようで尊重しない制度なんだ。考えてごらん。全員一致を求めるということは、各個人に拒否権を与えるのと同じことだけと、一人の拒否権を尊重することは、結果として他の全員の意見を尊重しないことと同じことになってしまうじゃないか。」
横で聞き耳を立てていた太郎は、先の会議で恥をかかされたことに不機嫌な上に悪酔いしてしまっている。「わかりましたよ、先生!!多数決も満場一致もダメ、民主主義なんてウソっぱちってことですね。いいですよ、それで!!」
「おい、おい、誰がそんなこと言った」、先生の弱点は酒を飲んで絡んでくる学生であった。「困ったな、君たちは先月号の法学セミナーを読んでいないのかい。私の弟子の萩原君がこう書いていただろ。民主主義とは<やり直し>のチャンスを残した実験だと。<決定>というものは所詮、常に暫定的なものなのだよ。その時点ではできる限り多くのことを考慮した上で決定がなされるべきだが、<今まで考慮されなかったもの>が付け加わってきた時はいつでも前の決定がくつがえされうるというのが本来の姿(7)なわけだ。それが民主主義なんだよ。」弱点を突かれた禿原先生はどさくさまぎれに少し嘘をついた。私、萩原は彼の弟子ではない。
投票行動のパラドクス
悪酔いした太郎をなだめつつもほこ先を変えようと先生は続けた。「それよりも君たち、太郎君の言うことも、まったく的外れなわけじゃあない。民主主義はフィクションだと言われれば、そういう面も見逃せない。例えば西部邁がある本の中でこう書いている(8)。合理的に考えれば、<一票の重み>などと口にする政治家や文化人こそペテン師であり、総投票数が千を越えるような現代社会の選挙においては<一票の重さ>は限りなく零に等しい。個人にとっては無なる投票という行為を社会的に集計した時に、議会という有なる実在が発生してくるが、そんなものは手品ほども出来のよくない虚構であり<一票の格差>を是正しろなどという要求は、零と零の二倍のどちらが大きいかということを知らない幼稚なレベルの話にすぎない。自分は政治に対するシラケとは無縁な者であるが、やれ<政治参加>だ、<積極的自由>だと投票所に向かう阿呆とはちがって、自分は選挙には行かないんだそうだ。君たちはこの問題についてどう考えるかね(9)。」
先生のフォローに気をよくした太郎は冷静さを取り戻した。「確かにそうですよね。仮に自分が投票した候補がめでたく当選したとしても、自分の一票なんて何万分の一にすぎない、それこそ統計学的には無視していいくらい無力なものですよね。むしろ統計学的には、わざわざ投票所までおもむいて途中で車にはねられて死んでしまう確率の方が高いかもしれない。西部邁って、結構正論をいうなあ。」
理屈には弱いが、直感的に正しいものを言い当てることの多い恵子はこれに対して猛反発した。「もう、太郎君たら、結局独裁者が好きなんだから!!投票は国民の神聖な義務なのよ!!何を言っているの。」恵子の剣幕に圧倒されながらも裕樹が独り言のようにつぶやいた。「参政権って、<権>がつくから、やっぱり義務じゃなくて権利だったよな‥‥」恵子はそれを聞き逃さなかった。「参政権は義務よ!<権利>とされている<義務>なのよ!!考えてごらんなさい。過去にどれくらいの人たちが参政権を求めて努力し、時には血を流してきたか!女性に選挙権が与えられたのはイギリスですら1918年、日本では戦後になってからよ。そのことを思えばそれを行使することは私たちの<歴史的義務>なのよ。だいたい男性中心主義の社会は‥‥」
「まあ、まあ、そう興奮しないで。」女性のヒステリーに弱いというもうひとつの弱点の露呈を恐れて禿原先生が割って入った。「恵子君の言うことはそれはそれで筋が通っている。現に選挙権を<義務>としている国もあるんだ。だけど大事な問題は、現在の日本がそうであるように、国民の政治への関心が高い割に、棄権する人の割合が増えているのはなぜかということなんだ。そこで重要になるのが、<投票の効用>だけを考えるのじゃなくて、<投票のコスト>も考えるということなんだよ。もちろん、ここで言う<コスト>とは実際にいくらお金を払ったかということじゃあない。機会費用(10)も当然含まれる。例えば仕事が忙しく、かつ大雪の中で、1メートル進むのに雪をかき分け20分も30分もかかるという条件のもとでは、投票に行くにしてもこのコストは相当なものだろうね。同じように<投票の効用>って言ったって、自分の票がいくらで<売れる>かなんてレベルの話じゃあないよ。まあ、そういう汚い選挙になる地域もないではないがね。もし誰も投票に行かないと分かっていれば、投票に行く価値は高まるし、全員が行くとはじめから分かっていれば、そんな価値のないものには自分は行かないという判断が一見したところ合理的なんだ。すべての人が合理的に行動すると仮定すると、後者の考えを持った人も、次からは投票に行かなくなるだろう。すると結局は誰も投票に行かなくなり、民主主義は危機に瀕することになっちゃうよね。現在の日本の状況は、多くの人が思っているように、国民がシラけから非合理主義的になったのではなくて、合理的になりすぎちゃったのかもしれないよ。論理的説明としてはだから、何が何でも<投票の効用>を高める理屈づけが必要になるわけだけど、それが何かというのが本当の問題なのさ。」
「わかりましたよ、先生の言いたいこと。」京子が勝ち誇ったように叫んだ。「皆がそうした合理的判断をした結果、民主主義そのものが崩壊してしまうということに対する危機意識こそがコストの負担を覚悟の上で国民を選挙に駆り立てている<効用>なんでしょ。一度独裁になっちゃったら、もう後戻りはできない。そのことに対する責任感が<効用>の別名なんだ。私って頭がいいんだから!」先生はもうかなり酔っている。「優等生らしい答だなあ。でも、僕としてはやっぱり心理的錯覚を無視できないな。例えば5万票で滑り込み当選した候補者Aと4万9千999票で泣いた次点候補者Bがいたとする。その場合にA候補に投票した人は誰もが、自分の1票が5万分の1の重さのものではなくて、勝敗を決した最後の決定的1票だったと思いたがるものなのさ。結局人間なんて、合理的に計算しているようでもその程度の非合理的動物なんだよ。そんなことより誰かチューハイをもう1杯注文してくれないかなあ‥‥」
花子が心配して注意する。「先生、胃潰瘍なんでしょ。そんなに飲んじゃ‥‥」「だから人間は目先のニンジンに飛びつく非合理的な存在だと‥‥」先生はもう酩酊している。
かくしてラビリンスワールドの夜はふけていく。