ラビリンスワールドの夜はふけて



                   選挙をめぐるいくつかのパラドックス
萩 原 能 久

何も決められない「民主主義」
 今回はラビリンスワールドという架空世界に実在する低能未熟大学で実際にあった実話である。
 スポーツや「研究」を口実に、その実は合コンや合ハイに精を出すか、バカ話を肴に酒を飲むだけの不純なナンパ系サークルを心底から軽蔑し、「学問のための学問」、「論理のための論理」をモットーに旗揚げした「民主主義友の会」は、誰もが予想するように、超カタブツの集まりとなった。理屈ばかりこねまわし、一度決めた民主主義的原理原則はガンとして譲らない彼らのことだから当然である。奇妙なのは、「民主主義友の会」というのだから、会の活動について、すべて円滑に決定されていてもよさそうなのに、そうではないことだろう。どうしてなのだろうか(1)。会の発足一周年を記念してカタブツの彼らにはめずらしく今度飲み会を開く企画が進行しているようなので、ちょっとその様子を覗いてみよう。
 部室のドアを開けるとまず目に飛び込んでくるのが壁に大きく張り出されている「民主主義友の会鉄の掟」である。

 第一条:(自由)すべての個人は完全に自由であり、どのような選択肢に対して
    もその好みに応じて、制約を受けることなく序列をつけることができる。
 第二条:(会員主権)会の決定はメンバー全員の意志によって決定される。会員
    全員が望ましいと判断する決定には会は従わなければならない(2)
 第三条:(無関係対象からの独立性)二つの選択肢の優劣に対して議論している
    ときに、それとは関係のない第3の選択肢の話を持ち出してきて議論を紛
     糾させるようなことは許されない。
 第四条:(独裁の禁止)独裁はこれを禁ずる。

 さすがは「民主主義友の会」である。民主主義の十分条件として、これだけで足りるのか疑問がないわけでもないが、少なくとも条文の一つ一つを見る限りもっともな原則であるから、必要条件とみなしてもさしつかえはなかろう。
 反対側の壁には、いかにも潔癖主義者のサークルらしい二つの「モットー」が見える。
 モットー1:比較しろと言われたときは「比較できない」などと逃げずに、比較
      すること(連結律)。
 モットー2:矛盾したことを言うな。例えばx≧yでy≧zならばx≧zを受け
      入れなければ循環順序が生じてしまうことを肝に銘ぜよ(推移律)。

 部屋の中では折しも7人のメンバーが飲み会の会場をどこにするかで相談しているようである。どうも居酒屋派とパブ派、カラオケ派に意見が分裂し、モットーに則って7名が3つの選択肢についてそれぞれ自由に選択順位を決定し、投票で決めることに話はおちついたようである。投票の結果は以下の表のようになった。
第1位 第2位 第3位
太郎居酒屋パブカラオケ
花子パブカラオケ居酒屋
次郎パブカラオケ居酒屋
京子パブカラオケ居酒屋
裕樹カラオケ居酒屋パブ
恵子カラオケ居酒屋パブ
瑞樹カラオケ居酒屋パブ
 各人が最も希望する場所の単記投票を主張していた次郎が、「多数決に従ってパブとカラオケの決選投票の結果パブに決定だ」と早くも手配の電話をかけようとするところに恵子が待ったをかける。「ちょっと待ってよ。こんな場合、一番嫌なところを消していく消去法が採用されるべきでしょ。だったらカラオケが一番嫌だっていうのは一人だけなんだからカラオケに決定よ。第一、カラオケを二位以上に挙げている人が六人もいるのよ。」
 最後まで黙っていた太郎がおもむろに口を開いた。「諸君、会のモットーを忘れちゃったのか?まず居酒屋とパブを比較してごらん。4対3で居酒屋の勝ちだろ。次にパブとカラオケを比較すれば同じく4対3でパブの勝ちな訳だ。推移律に従って僕の提案したとおりの居酒屋>パブ>カラオケという順番になるのは自明じゃないかい。」
 太郎の論理的説明に誰もが首をかしげながらも納得しかかった時に部屋に入ってきたのが、飲み会の時にしか顔を出さないお飾り顧問の禿原先生である。壁の張り紙をゆっくり見渡した後、先生は口を開いた。「ダメだよ、君たち。君たちの会の<モットー>と<鉄の掟>は両立しないよ。現に太郎君の主張を認めるとするならば、第四条の<独裁の禁止>に抵触することになるじゃないか。太郎君も太郎君だ。なぜ君は居酒屋とカラオケを比較したら1対6の大差で居酒屋が負けることを言わないんだ?こういうケースでは、いわゆる<投票のパラドックス>が生じて三すくみの堂々めぐり状態になる。そこで推移律なんか持ち出したら優先して議題に上らされたものが先に棄却され、あとまわしにされたものが有利になるんだよ。居酒屋の勝ちにすることも、パブの勝ちにすることも、カラオケの勝ちにすることも、どの順番で比較するかでお好み次第というわけだ。それを悪用しちゃ困るね。」
 先生の説明に大きくうなずいた花子が手を上げた。「先生、いい考えがあります。単記投票じゃなくて、一位に2点、二位に一点、三位に0点を与え、集計するという方法にすればいいんじゃないですか?するとこの場合には‥‥ええっと、カラオケが9点、パブが7点、居酒屋が5点でカラオケに決定ですよね。」
 先生は答えた。「その決め方は<ボルダ方式>って言うんだけどね。それにも問題があるんだよ。例えば居酒屋に勝ち目なしと読んだ太郎君が苦手なカラオケだけは避けたいと居酒屋提案をとりさげてパブとカラオケのどちらかに決めようと言い出したらどうする?そうなるとパブの勝ちになるよね。だとすると君たちの「鉄の掟」の第三条に抵触して、無関係な居酒屋案がパブとカラオケの選択に関与してくることになるし、選択肢がもう少し多くなれば、自分の思い通りのものを勝たせるために二位以下の順番をちょっと換えるだけで全体の決定を操作できる(3)ことにもなるんだよ。第一条の悪用だけれどね。だけどボルダ方式がいわゆる<敵の少ない>無難な選択肢を勝たせやすい方式であることは確かだよ。だからこそ、フランス王立科学アカデミーの会員選挙に採用されていたこの方式に猛反対したのがナポレオン・ボナパルトだったのさ(4)。」
 自分の策略を見抜かれてイライラしていた太郎君は悔しまぎれにこう質問した。「今回はたまたまそうだったけど、<投票のパラドックス>なんて、めったに起こることじゃないですよね。」先生は即座に切り返した。「それがそうでもないんだなぁ。今回のように選択肢が3つで投票者が7人の場合、確率的にはパラドックスが生じるのは8.4%だけど、選択肢が11で投票者が15人いればパラドックスの生じる確率は一気に50%くらいにまでなってしまう。一般には、投票者が10人を越えるとパラドックスの生じる確率はその後あまり変化しないが、選択肢の数が増えることはパラドックスの発生に大きな影響を与える(5)ようだよ。」
 自分たちの会の存在根拠そのものを否定された気分になり全員がシュンとしてしまったところで禿原先生は切り出した。「そんなことより、君たち、飲みたいんだろ。だったら僕に名案があるから、黙ってついてきなさい。」
 もはや八方手詰まり状態に陥っていた会員たちには、選ぶべき残された方法は思いつく術もなかった。その彼らを引き連れて先生が入っていった店の看板には「カラオケ付き居酒屋パブ」と大書きされていた。

満場一致?
 ひとしきり歌い終わり、酒もかなり入ってきたところで、先の会議では無言を通した裕樹が口火を切った。「先生、前から思っていたのですけれど、多数決って、やっぱりだめですよね。日本古来からのやり方である<満場一致>ですよね。」
 女子学生とのバカ話に興じていたところを、いきなりふいを突かれた禿原先生は今しも飲みかけのチューハイにむせかえった。「何を言い出すのかと思ったら、ゴホッ、ゴホッ、君ねえ、日本が満場一致の社会だったなんて言うのは根拠がないよ(6)。第一、全員一致っていうのは、各人の意見を尊重するようで尊重しない制度なんだ。考えてごらん。全員一致を求めるということは、各個人に拒否権を与えるのと同じことだけと、一人の拒否権を尊重することは、結果として他の全員の意見を尊重しないことと同じことになってしまうじゃないか。」
 横で聞き耳を立てていた太郎は、先の会議で恥をかかされたことに不機嫌な上に悪酔いしてしまっている。「わかりましたよ、先生!!多数決も満場一致もダメ、民主主義なんてウソっぱちってことですね。いいですよ、それで!!」
 「おい、おい、誰がそんなこと言った」、先生の弱点は酒を飲んで絡んでくる学生であった。「困ったな、君たちは先月号の法学セミナーを読んでいないのかい。私の弟子の萩原君がこう書いていただろ。民主主義とは<やり直し>のチャンスを残した実験だと。<決定>というものは所詮、常に暫定的なものなのだよ。その時点ではできる限り多くのことを考慮した上で決定がなされるべきだが、<今まで考慮されなかったもの>が付け加わってきた時はいつでも前の決定がくつがえされうるというのが本来の姿(7)なわけだ。それが民主主義なんだよ。」弱点を突かれた禿原先生はどさくさまぎれに少し嘘をついた。私、萩原は彼の弟子ではない。

投票行動のパラドクス
 悪酔いした太郎をなだめつつもほこ先を変えようと先生は続けた。「それよりも君たち、太郎君の言うことも、まったく的外れなわけじゃあない。民主主義はフィクションだと言われれば、そういう面も見逃せない。例えば西部邁がある本の中でこう書いている(8)。合理的に考えれば、<一票の重み>などと口にする政治家や文化人こそペテン師であり、総投票数が千を越えるような現代社会の選挙においては<一票の重さ>は限りなく零に等しい。個人にとっては無なる投票という行為を社会的に集計した時に、議会という有なる実在が発生してくるが、そんなものは手品ほども出来のよくない虚構であり<一票の格差>を是正しろなどという要求は、零と零の二倍のどちらが大きいかということを知らない幼稚なレベルの話にすぎない。自分は政治に対するシラケとは無縁な者であるが、やれ<政治参加>だ、<積極的自由>だと投票所に向かう阿呆とはちがって、自分は選挙には行かないんだそうだ。君たちはこの問題についてどう考えるかね(9)。」
 先生のフォローに気をよくした太郎は冷静さを取り戻した。「確かにそうですよね。仮に自分が投票した候補がめでたく当選したとしても、自分の一票なんて何万分の一にすぎない、それこそ統計学的には無視していいくらい無力なものですよね。むしろ統計学的には、わざわざ投票所までおもむいて途中で車にはねられて死んでしまう確率の方が高いかもしれない。西部邁って、結構正論をいうなあ。」
 理屈には弱いが、直感的に正しいものを言い当てることの多い恵子はこれに対して猛反発した。「もう、太郎君たら、結局独裁者が好きなんだから!!投票は国民の神聖な義務なのよ!!何を言っているの。」恵子の剣幕に圧倒されながらも裕樹が独り言のようにつぶやいた。「参政権って、<権>がつくから、やっぱり義務じゃなくて権利だったよな‥‥」恵子はそれを聞き逃さなかった。「参政権は義務よ!<権利>とされている<義務>なのよ!!考えてごらんなさい。過去にどれくらいの人たちが参政権を求めて努力し、時には血を流してきたか!女性に選挙権が与えられたのはイギリスですら1918年、日本では戦後になってからよ。そのことを思えばそれを行使することは私たちの<歴史的義務>なのよ。だいたい男性中心主義の社会は‥‥」
 「まあ、まあ、そう興奮しないで。」女性のヒステリーに弱いというもうひとつの弱点の露呈を恐れて禿原先生が割って入った。「恵子君の言うことはそれはそれで筋が通っている。現に選挙権を<義務>としている国もあるんだ。だけど大事な問題は、現在の日本がそうであるように、国民の政治への関心が高い割に、棄権する人の割合が増えているのはなぜかということなんだ。そこで重要になるのが、<投票の効用>だけを考えるのじゃなくて、<投票のコスト>も考えるということなんだよ。もちろん、ここで言う<コスト>とは実際にいくらお金を払ったかということじゃあない。機会費用(10)も当然含まれる。例えば仕事が忙しく、かつ大雪の中で、1メートル進むのに雪をかき分け20分も30分もかかるという条件のもとでは、投票に行くにしてもこのコストは相当なものだろうね。同じように<投票の効用>って言ったって、自分の票がいくらで<売れる>かなんてレベルの話じゃあないよ。まあ、そういう汚い選挙になる地域もないではないがね。もし誰も投票に行かないと分かっていれば、投票に行く価値は高まるし、全員が行くとはじめから分かっていれば、そんな価値のないものには自分は行かないという判断が一見したところ合理的なんだ。すべての人が合理的に行動すると仮定すると、後者の考えを持った人も、次からは投票に行かなくなるだろう。すると結局は誰も投票に行かなくなり、民主主義は危機に瀕することになっちゃうよね。現在の日本の状況は、多くの人が思っているように、国民がシラけから非合理主義的になったのではなくて、合理的になりすぎちゃったのかもしれないよ。論理的説明としてはだから、何が何でも<投票の効用>を高める理屈づけが必要になるわけだけど、それが何かというのが本当の問題なのさ。」
 「わかりましたよ、先生の言いたいこと。」京子が勝ち誇ったように叫んだ。「皆がそうした合理的判断をした結果、民主主義そのものが崩壊してしまうということに対する危機意識こそがコストの負担を覚悟の上で国民を選挙に駆り立てている<効用>なんでしょ。一度独裁になっちゃったら、もう後戻りはできない。そのことに対する責任感が<効用>の別名なんだ。私って頭がいいんだから!」先生はもうかなり酔っている。「優等生らしい答だなあ。でも、僕としてはやっぱり心理的錯覚を無視できないな。例えば5万票で滑り込み当選した候補者Aと4万9千999票で泣いた次点候補者Bがいたとする。その場合にA候補に投票した人は誰もが、自分の1票が5万分の1の重さのものではなくて、勝敗を決した最後の決定的1票だったと思いたがるものなのさ。結局人間なんて、合理的に計算しているようでもその程度の非合理的動物なんだよ。そんなことより誰かチューハイをもう1杯注文してくれないかなあ‥‥」
 花子が心配して注意する。「先生、胃潰瘍なんでしょ。そんなに飲んじゃ‥‥」「だから人間は目先のニンジンに飛びつく非合理的な存在だと‥‥」先生はもう酩酊している。
 かくしてラビリンスワールドの夜はふけていく。



(1) ここに紹介する議論は民主的意志決定方式の論理的問題性を解明したK. J. アローの「一般可能性定理」(『社会的選択と個人的評価』、日本経済新聞社)によるものである。興味を持たれた方は門外漢の私の中途半端な説明よりも、すぐれた解説書があるのでそれを参照して欲しい。特に佐伯胖の書物は抜群に面白いお薦めである。佐伯胖『「きめ方」の論理』、東京大学出版会;三宅一郎編著『合理的選択の政治学』、ミネルヴァ書房;小林良彰『公共選択』、東京大学出版会
(2) これは経済学者が「パレート最適」(Pareto optimum)と呼ぶもの、つまり「すべてのi に対してxPiyならば xPyである」を意味する。わかりやすく言えば、「共同体がある社会状態から別の社会状態に移動するときに、そのことによって共同体のどの成員も、少なくとも前の状態より悪くならない」(三宅、前掲書、93頁)条件である。
(3) このことは「戦略的操作可能性」と呼ばれる。
(4) 佐伯、前掲書、26〜7頁、50〜1頁参照
(5) 小林、前掲書、 61〜2頁
(6) 利光三津夫・森征一・曽根泰教『満場一致と多数決』(日経新書)第二章参照
(7) 佐伯、前掲書、107頁
(8) 西部邁『生まじめな戯れ』(筑摩書房)46頁以下「一票の軽さ」
(9) この問題に関する基本テキストはA. ダウンズ『民主主義の経済理論』(成文堂)である。
(10) ある選択肢をとったがために断念された他の複数の選択肢の効用の中で最大のものが機会費用である。


今回の話に登場した人物の中で瑞樹君だけは投票の結果表に登場しただけで、一度も発言していない。なぜだといぶかしがる人のためにお答えしておこう。彼のモデルは実在の私の1歳半の次男であり、まだまともに言葉がしゃべれないのである。


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